弱さをも誇る信仰

コリント人への手紙第二11章23節~30節, 12章9節~10節

…私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも…死に直面したこともしばしばでした。…日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。…私は自分の弱さを誇ります。…しかし、主は、「…わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、…喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

4月からの新しい年度を迎えるにあたって、進学、就職、引っ越しと何かと慌ただしいかもしれませんが、大切な節目の時でもあります。こんな時こそ、Make It Happen! 信仰を働かせましょう! 私たちは弱いからこそ、主の守りや導きをいただき、人のすべての計画や思いにまさる神の御業がなされるように祈ります。
シベリアの永久凍土から2万8000年前のマンモスが大変良い状態で発見され、その細胞核を使ってマンモスを復活させる試みがあるとニュースで見ました。そんな昔のDNAが生きていることに驚くと同時に、クリスチャンのDNAについても考えました。私たちも、イエスから、そしてイエスから命を受けて教会を誕生させた初代教会の使徒たちから、信仰の霊的DNAを受け継いでいるはずです。ですから、その信仰を復活させようではありませんか。
私たちは、心身ともに強いことや何事もうまくいって順風満帆であることを願い求めますが、神に造られた人間である限り、弱さ、もろさ、不完全さを常に抱えた者であることを認めたいと思います。パウロは、この手紙の中で何度も自分の弱さに言及しています。人生において大切なことは、弱さとどう向き合うか、弱さをどう正しく取り扱うかということです。ここで大切な3つのカギを確認しておきましょう。

1.人としての弱さを認める

人である私たちには必ず弱さがあります。クリスチャンだからと言って、強がって弱さを隠したり、かっこいい自分だけを演じたり、うわべだけで幸せそうな姿を取り繕う必要はありません。時には自分の弱さや不完全さを素直に認めて、落ち込んだり苦しんだ経験さえ語れる勇気を持ちたいと思います。ここでは、パウロは自分の弱さを素直に語っています。

2.弱さは恵みへの転換点、祝福のカギ

弱さを単なる挫折や失敗や苦しみで終わらせることなく、弱さは、神の恵みへの転換点、祝福をいただくカギとなることを知りたいと思います。イエスが常に共におられることを忘れてはなりません。神が共におられるとき、私たちの弱さでさえも、私たちの人生を神の恵みへと引き寄せ、神の御業を体験させる勝利への転換点となるのです。パウロが告白しているように、弱さを誇りましょう。かっこ悪くみすぼらしく、生きることさえままならないみじめな自分の弱さを用いてくださる、主キリストがおられるからです。

3.弱い時にこそ強い

クリスチャンである私たちには、人生をひっくり返すような逆説的な強さ、神の恵みが約束されています。パウロには肉体のとげがあり、取り除いていただくように必死に祈りました。しかし、神の恵みはあなたの弱いところに完全に現れると言われ、パウロは「私は弱いときにこそ強い!」と言って、喜んで弱さを受け入れたのでした。
神の約束、恵みは、人間の計算や方程式を超えています。今、あなたが、たとえ弱さを感じることがあっても、それだけで終わらせないで、神の前に自分の弱さを認めて素直に祈りましょう。あなたが弱さを感じるときにこそ、神の強さを体験し、イエスのすばらしさをほめたたえる者にならせていただくことができると、今、信じて祈りましょう。