ヨブの根本的な信仰にならおう

ヨブ記1章1節~3節、6節~22節

…主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」サタンは主に答えて言った。「…彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」…使いがヨブのところに来て言った。…「あなたのご子息や娘さんたちは…死なれました。…」…ヨブは…地にひれ伏して礼拝し、「…主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」…ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。

この数週間私は大きな二つの出来事で感じるところがありました。1つは45歳で突然のくも膜下出血で召された大川光基兄のこと。命を与えられて生かされていることそのものが実は神からの大きな恵みであることを思い起こさせられました。そして先週の福岡と東京でのレイモンド・ムーイ先生の癒しの集会。イエス・キリストの名前によって癒しを求めて祈る時、その場で多くの癒しが起こされました。私たちの命はいつか必ずこの地上から離れる時が来ます。でもその時まで、私たちが喜びを持って元気でいられるように、主は病いの癒しや、様々な恵みを与えてくださる恵みの神であることを心から感謝します。
今日のヨブは、旧約聖書の登場人物の中でも特徴ある人物です。この1章に彼の生き様や信仰の要約となるものが記されています。特にこの章の最後の言葉から、この春の歩みを恵まれたものとするためのポイントを押さえておきましょう。

1.サタンのような考え方を持たない

ここでヨブの正しさを見せかけだと告げ口をした悪魔、サタンのような考え方を決して持ってはなりません。それは、祝福された人々を見ると、なぜか嫉妬し、邪推する悪に染まった歪んだ心です。サタンは人の心に歪んだ思いや悪を植え付け、神に敵対させようする存在です。私たちは喜ぶ者とは共に喜ぼうではありませんか。悪を行うことや罪深い考えに染まるように、そそのかしたり、誘惑するサタンの働きがあります。そういったものに関わらないようにしましょう。サタンには誘惑されず、影響を受けません、悪に染まることをしません、と神によって私たちの心が清められ保たれることを願いましょう。

2.神をご都合主義の神にしない

神を信じ、クリスチャンになれば、何もかもがバラ色で、良いことしか起こらないというのは極端すぎます。神を単に御利益主義の神に終わらせないようにしましょう。試練、苦しみ、悲しみを感じることが起こっても、私たちを愛し、信頼し、導いてくださる神がおられることを忘れないことです。神は私たちに、最大の贈り物として自由意志を与え、自由に決断する権利まで委ねてくだいました。自由がある以上、不都合が起こることは避けられません。しかし、自由意志を与えても神と向き合う者となると期待されていることを感謝しましょう。

3.幸せの基準をいのちそのものに置く

形ある財産や目に見える物に幸せの根拠を置かないことです。私といういのちがこの地上に与えられ、このいのちを生き、また神の元へ帰って行くことができるという、この根本を素直に喜ぶ者になりましょう。完璧な健康や財産に幸せの根拠を置くと、ちょっとしたことですぐに不幸になります。しかし私たちのいのちは、主が与えられ取られるにすぎないのです。裸で生まれ、最後は裸で神の元に帰って行く。だから、いのちが与えられているということを神からの恵みとして感謝し、そこに幸せの基準を置く、究極の謙(へりくだ)りを忘れない器となりましょう。
この後もヨブは、最後までこの姿勢を失わず、神から2倍の祝福を受けます。彼の生き方が教える、与えられたいのちに感謝するという究極の謙りの根本的な信仰にならい、幸せな春の日々としましょう。