恐れるな!完全な愛があるのだから!

ヨハネの手紙第一 4章18節

愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。


昨日は、戦後75年となる終戦記念日でした。私の祖父も沖縄で戦死しました。ずっと帰りを待ち続けていた祖母のもとに届いたのは、小さな箱の中に入った沖縄の海のホネ貝でした。幼いころから毎年、終戦記念日にこの話を母から聞いていた私の心には、人の命のはかなさ、人間と人間とが戦い合い、殺し合う罪の恐ろしさ、再び戦争が起こることへの恐れ、死に対する恐れがありました。
現在もコロナとの戦いがあり、世にあっては患難があります、恐れがあります。しかし、主は、このヨハネの手紙第一4章18節の御言葉を通して、私たちに語っておられるのではないでしょうか、「愛するわが子よ、何を恐れているのか。恐れることはない。わたしがあなたを完全な愛で愛しているのだから」と。

1.恐れ

私たちは様々なことで恐れます。時には、一匹の虫で恐れることさえあります。また、死を恐れます。死後にある神の裁きを本能的に知って恐れます。
私たちは恐れの原因が外側にあると思いがちです。しかし、今日の御言葉を見ると、恐れる者は、外側に恐れをもたらす問題があるからではなく、「愛が全きものとなっていない」からだと言うのです。恐れを締め出す完全な愛があれば、恐れることはないのです。恐れるか、恐れないか、それは、完全な愛があるか、ないか、それが鍵なのです。恐れを覚えるとき、自分の内に完全な愛があるか、ないか、本気でそれを信じているかどうか、見つめ直しましょう。完全な愛があるなら、恐れることはないのです。

2.完全な愛

「完全な愛」とは、聖書の原文のギリシヤ語では「完成した愛」という意味です。どこで、完成したのでしょうか? それは、十字架です。「完了した」(ヨハネ19:30)と主が十字架で叫ばれたとき、罪人をも救う愛は完成し、罪の恐れは消え去ったのです。主は三日目に死を打ち破ってよみがえり、死の恐れも消し去られたのです。教会の告別式の度に思います、死を超えたいのちの希望の中で、愛する方を失った悲しみも、死の恐れも乗り越えられている、と。素晴らしい主の恵みです。「あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します」(詩篇63:3)と讃美しないではおられません。いえ、主こそ、私たちの救いのためにいのちまで捨ててくださり、いのちにまさって私たちを愛してくださっているのです。こんな素晴らしい完全な愛で愛されているのですから、私たちは恐れることはありません。喜び讃美するのです。完全な愛があるからです。

3.信仰

私たちは信じればよいのです。信仰は、信じる方と私たちをつなぎます。完全な愛そのものである神とつながるとき、私たちの内から全ての恐れは締め出されます。目の前に「恐れ」の現実があっても、詩篇56篇にあるように、「恐れのある日に…何も恐れません」と言うことができるのです。「神に信頼」しているからです。信じているからです。恐れがあるのに、恐れがないと言える。完全な愛があるからです。主は私たちに語っておられます、「愛するわが子よ、何を恐れているのか。恐れることはない。わたしがあなたを完全な愛で愛しているのだから」と。

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