召された人々の信仰を無駄にしない

ピリピ人への手紙2章15節~16節

それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。


8月は、戦争と平和、死と命について思いを巡らす時です。私たちは神様から与えられている命をしっかりと生きるべきであり、罪や悪から離れて、喜びと平和、そして愛を生み出し、命を豊かに育む生き方をしたいと願います。一見退屈なマタイ1章の系図から、人間の命が誕生してから私たちにまで連綿と繋がっていることが奇跡であることを知り、感謝したいと思います。また、ルカの3章23節以降はイエス・キリストからさかのぼる系図で、最後は「…このアダムは神の子である」とあり、私たちの命は神にまで繋がっていることを覚え、喜ぶ者となりたいと思います。神から与えられた命ですので、信仰の先輩方の手本にならいつつ、神の御心に適うように生きていきたいと思います。神と共に歩む私たちの信仰生活を完成させようではありませんか。神が与えてくださる私たちの本来の生き方を学び取るように聖書は語っています。神から命を頂いて救われた者として歩んでまいりましょう。神の御心に適う生き方をするための3つのポイントを確認してまいりましょう。

1.純粋で清らかな生き方を選択する

私たちは、悪や罪の力に染まらず、清く純粋な生き方を選ぼうではありませんか。自己中心的な生き方や、人に迷惑をかけなければ問題がないかのような、今の世の流行りの生き方を選ぶのではなく、先に天に召された兄弟姉妹の信仰の姿勢と生き方を改めて顧み、神様に通じるような正しい生き方を選択し成長していきたいと思います。今の世の中では、そのような生き方は不格好で味気なく見えるかもしれません。しかし、良いものは良いのですから、神に喜ばれる清い生き方を選んでまいりましょう。

2.神の言葉をしっかり握る

世の中の知恵で生きるのではなく、私たちは「いのちの言葉」を握り、忘れることがないようにしたいと思います。神の知恵と神の真理を頂いて、シンプルに地の塩、世の光として輝こうではありませんか。情報化社会の発展により、私たちは世界中のどんな情報も瞬時に手にすることができ、また発信もできるようになっています。情報の中には良い知恵も、そうでない知恵もたくさん存在します。裏技や悪知恵に精通するのではなく、神の言葉と良い事柄を選び取りましょう。また、信仰の先輩方が神の言葉を握りしめてきた生き方にも学んでまいりましょう。見返りを求めることなく捧げ、人々を助けてこられた兄弟姉妹たちがおられたからこそ、今の教会があるのだということも覚えておきたいと思います。

3.自らの死にも安心がある

私たちは、神の御前に純粋に生き、神の御言葉に精通した者となるなら、世の終わりである再臨の時や、自らの死の時にも安心し、満足することができることを知りましょう。私たちは必ず天に召される時が来ますが、イエス様を信じて救われた者には、永遠の命が約束されているのです。天の御国で先に召された信仰の先輩方に再会した時に、「私の祈りや努力が無駄でなかった」と言ってもらえるように、兄弟姉妹の信仰の姿勢から学び、手本とし、日々成長して神に喜ばれる生き方をしてまいりたいと思います。誇ることのできる生き方に整えられて、今週も前進してまいりましょう。

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