本物の神の家
テモテへの手紙第一3章14節~15節
私は、近いうちにあなたのところに行きたいと思いながらも、この手紙を書いています。それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。
この3回の日曜日、皆さんのお祈りによって守られ、福岡・大阪・東京へ出かけることができました。それぞれの集会で、大きな恵みに満たされたことを感謝します。
しかしこの夏、単に特別集会やイベントで盛り上がるだけではなく、まことのキリストのからだとしての諸集会が行われますように。生ける神の教会として命のある交わりがあり、命溢れる礼拝が献げられ、神の栄光が現れるまことの教会でありたいと願っています。私たちは、今日もイエス様の恵みの溢れる本物の礼拝として受け止めていきましょう。
今日の聖書箇所はパウロがテモテに対し、教会においてどのように行動すべきかを示し、励ましの手紙を書いています。聖餐式にあたって、本物の神の家とはなにか、2つのポイントをおさえておきたいと思います。
1.生ける神のおられるところ
生きて働かれる神がおられるところが教会です。そこで私たちは神を仰ぎ見、神の命と臨在に触れます。イエスの愛に触れるのです。神の恵みの中に置かれる、それこそが生きた教会であって、私たちはそういう教会でありたいのです。今日、あなたは礼拝に出かける際に、イエスに恵みを求めましたか。それともなんとなく、出かけて来ましたか。もう一度、イエスを仰ぎ見、イエスに祈って恵みを頂きましょう。
最近の世の中の考え方、多様性の時代に、神様を排除し自分の欲求が満たされれば良いと思うことが多くなっています。一人一人の個性や今の価値観を大切にしようとする生き方を聖書に当てはめようとすると、聖書すら間違った書物としてとらえられてしまいます。そうではなく、聖書は神と私たちとの関係を書いているのです。神に真実があり、神が土台です。義なる神の物差し、正しさに当てはめて、私たちの罪を悔い改め、わがままをごり押しする考えを主によって変えられて生きていくことなのです。
私たちの教会は生きて働かれる神がおられる教会ですから、神を見上げ、神の言葉に聞き従いましょう。生きた神がおられるからこそ、人にはできない奇跡、魂の救い、病の癒し、しるし、不思議が私たちの祈りの答えとして与えられることを感謝します。
2.真理の柱、土台としての性質
今の時代は複雑で、私たちはどれほど多くの心配や苦しみ、悲しみを抱えて生きているでしょうか。教会には私たちの命を貫く、真理の柱、人生の土台があります。私たちに命を与えてくださった神の土台や、神が共にいてくださるから大丈夫という真理の軸、柱です。教会には救いの道があり、私たちの幸せの鍵があることを感謝しましょう。
この2つのポイントの明確な答えは神の御子である救い主、イエス・キリストが私たちのためにこの地上に下り、私たちの罪の身代わりとなって十字架に死んでくださったことにあります。私たちと神との関係がイエスの十字架によって回復され、私たちを神の子どもとしてくださったこと、さらに、聖霊の恵みまで与えられていることを感謝したいと思います。
神がおられる人生の恵みと、私たちがどんなに弱くても恵まれ、守られ、祝福される幸せの土台が与えられているのです。