人生の病い・痛みと向き合ってくださる主

列王記第二4章32節~37節

エリシャが家に着くと、なんと、その子は死んで、寝台の上に横たわっていた。エリシャは中にはいり、…主に祈った。それから、寝台の上に上がり、…子どもの上に身をかがめると、子どものからだが暖かくなってきた。それから彼は降りて、部屋の中をあちら、こちらと歩き回り、また、寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開いた。…彼女ははいって来て、彼の足もとにひれ伏し、地に伏しておじぎをした。そして、子どもを抱き上げて出て行った。

最近京都で起こった放火のニュースに、心を痛めています。人への恨みから火をつけて、34名の方が犠牲になるって、あまりにも理不尽です。でも今の時代、ストレスや行き詰まりの中で自分の気持ちだけで頑張ろうとしても、自分を助けることはできません。私たちは神によって命を与えられていますから、神と共に歩むときに守られ祝福されるのです。
今日は、癒しの礼拝です。聖書は、神は今も生きて働かれる神であることを教えています。この教えを受け止め、癒しの恵みをいただきましょう。

1.人生と向き合ってくださる神がいる

預言者エリシャが癒やしを求めて祈ったとき、神は、この子どもを癒やしてくださいました。この子どもとエリシャの関係は、4章の8節から始まります。世話になった女に何かしたいと思ったエリシャが、女に男の子が与えられると宣言します。1年後、本当に男の子が生まれ、めでたしめでたし。しかし、成長した男の子はいきなり死んでしまいます。私たちが受け止めなければならないのは、人生は、良いことばかりではなく、時には思わぬ災難がふりかかることもあるということです。それが、人生の現実です。しかし、いろいろなことが起こる人生の中で、私の人生と向き合ってくださる神がいることを感謝しましょう。

2.否定的感情に気を付ける

エリシャの取り計らいによって与えられた我が子が、いきなり病によって失われる悲劇から、女は思わずこう言います。「いったい誰が、子どもが欲しいと言ったのですか。苦しめるために子どもを与えたのですか」と。彼女は、与えられた恵みを忘れて神に対する攻撃を口にしたのでした。私たちは苦しい現実の中で、思わず否定的な言葉を口にしたり、人を攻撃したりしないよう、気を付けましょう。

3.祈っている神の家族がいる

それでも、神の人エリシャは女を突き放すのではなく、すぐに子どものために特別な祈りを始めました。私たちも、困難の中で弱音を吐いたり、偉そうに神に文句を口走ったりしてしまうことがあります。そんな中でも、神は決してあなたを見捨てず、あなたのために祈ってくれる誰かが存在します。神を信じる者は、あなたのために必ず祈りますし、主の教会はここに確かに存在しています。私たちは、常に教会において祈りに囲まれていることを感謝します。

4.神の方法で現される恵み

ありとあらゆる方法でエリシャが祈ると、男の子は7回くしゃみをします。この7という数字は、完全数と呼ばれる、神の事が起こる時の神の数字、神のタイミングです。そう、神の力によって、この子は息を吹き返しました。神は今も働き、人間の方法論を超えて、神ご自身の方法で、神の時に最善のことをなしてくださることを、感謝して受け止めようではありませんか。私たちが100点満点の清さだから、神が祈りに答えられるのではありません。自分でも情けなくなるような愚かな人生に、神は向き合ってくださいます。単に自分の祈りの力によってではなく、主に祈ったときに、主がご自分の御業で、神の霊により祈りに応えてくださいます。このことを感謝して、主に祈り求めてまいりましょう。