聖霊の働く信仰の基本
他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。 使徒の働き8章4節~8節
先週はインド伝道のお証しを別紙でお渡ししましたし、日本でも相次いで癒しの御業が起こされていることをも感謝します。日本においても必ず奇跡は起こります。主に期待しましょう。空梅雨の心配から一転して豪雨となり、今度は水害の心配。私たちは、何か事柄が起こるたびに一喜一憂しますが、困難な場合は、心を閉ざして頭を抱えこみすぎず、イエスを見上げたいと思います。私たちに永遠の命まで約束されたお方ですから、その恵みが断ち切られることはありません。イエスによって強くされます。今回の箇所では、ピリポがサマリヤの地方に行き、福音を宣べ伝えると大勢の人が集まり、イエスを受け入れ、また癒しの御業が続々と現されていきました。しかし、そこには喜びばかりがあったわけではありません。この当時、迫害を受けた人々の姿が4節の初め「散らされた人々」とあります。もともと教会のお世話係であったピリポは、その散らされた人々とともにサマリヤに訪れたのです。
1.私たちの信仰は偽りではない
イエスの十字架によって、私たちには真実の救いが与えられています。このあとの9~11節では魔術師のシモンが人々に「大能であり、神の力だ。」と呼ばれています。現代においても、いかさまで言葉巧みな嘘の宗教がありますが、この当時も一緒でした。しかし、魔術で人々を騙し続けていたシモンでさえもピリポのイエスの御名よる祈りによって変えられたのです。私たちに与えられている魂の救いにしっかりと目を向け、信仰の原点に立ち返りましょう。
2.聖霊の力ある福音を体験
真の信仰だけでなく、福音の裏づけとなる聖霊の力が約束さています。ピリポは指導者として教会の中心で働く使徒ではなく、奉仕者でした。しかし、使徒とか奉仕者とかに関係なく、信じる者には聖霊が与えられるのです。私たちも同じです。信じてバプテスマまで受けていたにもかかわらず、シモンは使徒たちにお金を持ってきて、聖霊を与える権威を下さいと頼んだのです。神の賜物をお金で買うとはとんでもないことです。けれども聖霊は、長い間魔術を行なっていたシモンさえ驚くほどの迫力があったと言えましょう。イエスが命をかけて与えてくださった聖霊は何にも代え難い賜物なのです。
3.真の救いを自分の救いとして歩む
シモンがお金で賜物を買おうとした時、ペテロは厳しい言葉を返します。20~24節「あなたはお金ともに滅びるがよい…不義の中にいることがよく分かっています」と語ります。シモンは非常に恐ろしくなって、ペテロが言ったとおりの事が起こらないように主に祈ってくださいと求めました。
私たちに1番必要なことは何でしょうか。信仰が長いとか短いとかいうことは全く関係ありません。大切なのは、十字架に立ち返り、まっすぐにイエスを見上げて愛することではありませんか。主の贖いに感謝し、この世の偽りや苦しみの中で歩む人々を本物の救いに導く者となりたいと思います。クリスチャンであることを喜びとし、真の信仰をもって聖霊の臨在の中を歩み、日本のリバイバルのために用いられましょう。