信仰による次の一手

…「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」…「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。…                     
                 マルコの福音書10章17節~22節 

昨年ブータンの若い王様と王妃様が来日し、国民の幸福度が世界一高い国として大変話題になりました。しかし、最近のネット社会の影響で世界の情報が入り始めると、今までの農業中心のライフスタイルに我慢できない若者が日ごとに急増。仕事もせず、アル中になって国が破綻しつつあるそうです。やはり、神の知恵によらなければ、人間の知恵だけで幸せを作ることは無理なのです。6月30日は今年の折り返し地点、この年の後半、私たちはクリスチャンですから、神と共に人生設計をしましょう。
今日の聖書箇所では、ある人がイエスの元に来て真面目な質問をしています。イエスはその心を見抜かれて、守り通すべき律法の中心点を語られました。するとこの人は、躊躇なくそれらをすべて守っていると答えます。しかし、イエスはその次を言いたかったのです。「持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。…」。すると顔を曇らせ、悲しみながら立ち去ったのです。イエスの言われた、たった一つのことに手を付けることもせず、主の恵みから目をそらしたのです。

1.次の一手、次の行動が恵みをもたらす

この人は、人生を無駄にしていたのではなく、律法を守り、一生懸命に生きていたのです。
将棋や囲碁には、交互に一手ずつ打つというルールがあり、好き勝手に何手も打つことはできませんし、うまくいかないから後戻りしたり、一方的にやめたりすることはできません。私たちの人生も同じです。どんなことも次の一手を打つしかありません。ゲームならやり直せますが、人生は後戻りできません。この半年、自分なりに、人間関係も生活や学びもやってきたと、私たちもこの人のように言いそうです。その私たちに、主は人生を変える次の一手を、必ず語ってくださいます。信仰を持って、主の御声を受け止め、信仰の込められた次の一手を打っていきましょう。

2.理屈ではなく具体的な行動を起こす

イエスの言われたことは非常に難しくて、私たちには、尻込みするようなことに思われます。でも妥協なく律法を実行できるこの人物には、当然できたはずのことだったのです。自分の食事の1回分、古着の1枚でも貧しい人に施し始めさえすれば、神の救いがもたらされたことでしょう。この人物は神の国に近かったのです。欠けているのはたった一つでしたから。それに取り組めば、すべてが明らかにされて、今までの律法の行ないは単に自分のためだったことに気づき、救いの体験をしたでしょう。それなのに、ただ暗い顔をして立ち去ってしまい、たった一つの次の一手を打つことができなかったのです。
そもそも主は、私たちにできないようなことは初めから要求されません。あなたがしようと思えばできるはずです。失敗の多かったペテロが選ばれて、主のしもべ、使徒として用いられた秘訣は、主の言葉を聞き、不器用でも、常に次の一手、行動を起こしたことです。
この半年間、神の御声を素直に聴いて、神に喜ばれる行動を起こしましょう。病気の癒しも、仕事の祝福も、身近な人のための救いも、諦めずに常に次の一手を打つ具体的な行動を起こすことです。