1月25日
自分の世界の“先駆者”となろう!
シアトル・マリナーズなど米大リーグで19年間プレーし、アメリカでの通算3,089安打(日米通算では4,367安打)を放ったイチロー氏が、日本人初の米国野球殿堂入り…となりました。
年間最多安打の262本、10年連続の200安打、シーズン最多安打(7度)、リーグMVP(1度)、首位打者(2度)、盗塁王(1度)、ゴールデングラブ賞10年連続、新人王…など、野球の発祥地であり、本場とも言えるアメリカで攻守に亘って輝かしい記録を打ち立てていたので、当然と言えば、当然の選出。
アメリカでの野球殿堂入りとは、ニューヨーク州クーパーズタウンにある野球殿堂博物館(National Baseball Hall of Fame and Museum)に、野球の発展に大きく寄与した人物として表彰され、その顕著な活躍や功績が長く歴史の中で称えられることになることを意味しています。
選手として、大リーグで10年以上プレーし、引退後5年以上を経た人物が表彰対象者となるそうですが、イチロー氏の場合は、その有資格者となるや否やの殿堂入り選出となりました。全米野球記者協会に10年以上在籍する記者の投票で選出され、全投票数の75%以上の得票で決まるそうです。
毎年、投票する記者の数も変動するのですが、今回は394票中393票の得票数、99.756%の得票率で1939年から始まった選出歴代第3位にあたる文句なしの選出でした。
大男の筋肉ムキムキのプロレスラーのような選手たちが活躍するパワーベースボールの全盛期に、スピードと技術で勝負する小柄なイチロー選手の野球スタイルは好対照で鮮烈でもありました。
記者会見でのイチロー氏の言葉の中で印象的だったのは、「2001年に自分が大リーグでの挑戦をし始めた時に、こんな結果を予想できた人は一人もいなかったでしょう? 世界中でたった一人もいなかった!」というもの。
日本のプロ野球で9年間大活躍した後、アメリカに渡り、誰も歩んだことのない道をコツコツと19年間歩んだことによる結果なのです。毎日誰よりも早く球場入りして入念なストレッチをし、食べ物も細かく管理、グラブやバットなどの道具類もきちんと手入れして磨き上げ…と、すべてに超一流のプロ意識を貫いて、誰も歩んだことのない自分の道をひたすら“先駆者”として歩み通した訳です。
私たちは社会での脚光を浴びるような立場には置かれていません。有名でもありません。しかし、自分に与えられた人生を、その道の“先駆者”としてコツコツと歩んで行くことにおいては同じでありたいと思います。
主キリストと共に歩み、自分に与えられた生きる世界の“先駆者”となって行動してまいりましょう。