8月7日

人間の持つ愚かさを忘れない!


昨日、8月6日は広島での“原爆の日”。1945年、太平洋戦争末期に人類史上初となる原子爆弾が使用されて以来、77年の月日が流れたことになります。

広島や長崎の経験から、核兵器使用の悲惨さを人類は身に染みて分かったはず。そもそも戦争がもたらすものは悲しみと涙。世界中の誰もがそれを理解しているはずなのですが…。

一口に知識と言っても、情報の受容や把握、単なる論理や概念の理解という表面的なレベルから、歴史的・体験的知識として人間の本音にまで染み付くような事実との間には相当な隔たりがあります。殺し合うことや戦争の悲惨や無益さに関しては、人間は何千年も歴史を積み重ねたにもかかわらず、まだ十分には理解されていません。

“殺してはならない”とモーセの十戒(出エジプト20:13)に記された当時から、誰もが分かっているはずのことでありつつ、実はまだ誰もわかってはいない…という、簡単そうに見えて、難しい事柄なのです。

圧倒的な軍事力を背景に、隣国を侵害し、略奪の果てに国境線まで変えてしまおうというロシアの暴挙に始まったウクライナでの戦争は泥沼化して出口が見えてきません。

また今度は台湾を巡って、アメリカのペロシ下院議長が台湾を訪問した…ということに中国が猛反発して、台湾全体をすっぽり取り囲むように配置された6か所での大規模な軍事演習を始めました。

首都・台北の上空を通過したミサイルが、沖縄県の与那国島や波照間島近くの日本のEEZ(排他的経済水域)に着弾するなど、何だか物騒なことになってきました。これは誰が見ても、演習や訓練のレベルではなく、威圧や脅迫です。

ウクライナ侵攻の際、“核兵器を使うぞ!”とロシアが脅し、アメリカやNATO軍を牽制できたことで、ロシアのみならず、中国も北朝鮮も“核”をちらつかせて、強硬な姿勢を貫いています。その先にある不幸や悲惨を誰も見ようとしていません。

“やめよ。わたしこそ神であることを知れ。(詩篇46:10)”と語られた主なる神様の御言葉は今も生きています。争いや戦いを繰り返す人間の愚かさを認め、神様の前にヘリくだり、私たちの足りなさを悔い改め、救い主キリストの十字架の贖いを心から感謝したいと思います。

評論家然として他人を批判し責めることは得意な私たちですが、まず一人の罪人として、主キリストの前に自分の弱さ、愚かさを悔い改めたいと思います。私たちの背負う罪の深さを知り、キリストの愛と救いの恵みを認めることなしに、本当の平安や恵みは実現しません。この致命的な愚かさから救い出してくださった主キリストのみわざに感謝しましょう。