3月8日


AIによる知識か、神の御言葉か?!

 生成AI(人工知能)が驚異的なスピードで進化しています。その煽りを受けて、各地での俳句や川柳のコンテストが、今や岐路に立たされているのです。生成AIを使えば、誰でもほんの数秒で、五七五…十七音の作品を生み出せるからです。審査員たちからは「人の作品かAIが生み出したものか、見分けがつかない」と声が上がっており、コンテストそのものの終了を決めたケースも出始めました。論評や小説など、ある程度の長さのある文章なら、AIらしさや癖などを見抜くこともまだまだ可能なのですが、五七五という世界最短の定型句では、AIの作業の痕跡を見い出すことは極端に難しいことなのです。中には、開き直ってAI俳句やAI川柳を良しとして、人間の思いもつかない作風を期待する向きもあるようなのですが、それでは人の知性や創作性からは離れてしまい、文学の分野からも逸脱してしまいます。

 最近の生成AIの賢さも相当なものなのです。たとえば、試しに一般の方々への教会の案内の仕方をAIに訊いてみると、これがなかなか秀逸な返答が返ってくるのです。深く考えることのできない牧師や神学生などでは太刀打ちできないほどの、説得力のある提案がなされてきます。普通の広告と同じではダメで、いかに見る人の心に“信頼感”を生み出すことができるか、また、世の中にはない教会独自の霊的な“雰囲気”を伝達することが必要だ、広告を打つとしても頻度ではなく、継続性なのだ…と、かなり的を射た提案がなされてくる訳です。生成AIはインターネット上のあらゆる知識を網羅した上で、提案してくるのです。

 そんな生成AIの圧倒的な知識が、人の持つ知恵を飲み込むことになってしまうのでしょうか? 私たちは信仰の世界における“神の言葉”に、AIが持たない偉大な“力”があることに注目したいと思います。聖書には、“神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(へブル4:12)”とあります。知識という点では、AIのもたらす提案は私たちの知識を圧倒するものとなるのかもしれませんが、実は神の御言葉にある“力”には到底及ばないのです。インターネット上の知識の総量であったとしても、そこに目に見えない深遠な力は働いていないのです。神の御言葉こそが、私たちの心、魂、霊にまで響くものであり、目に見える世界においても、目に見えない霊的な世界においても、力強いみわざを生み出すことができるのです。さぁ、今日も、力ある神の御言葉に信頼して、大きな恵みをいただきましょう。