事実として受け入れる自らのクリスマス
ルカの福音書2章11節〜12節、テモテへの手紙第一1章15節
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入 れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
クリスマスおめでとうございます。救い主イエス・ キリストが私たちのためにお生まれくださったことを心から喜び感謝しましょう。私たちの信仰生活が豊かに成長し、祝福されていることを感謝します。
メリエスト・クリスマスが守られ祝福されたことを感謝しています。今年のメリエスト・クリスマスは「光」を テーマに掲げました。牧師一人だけが行うクリスマスではなく、皆さんの尊いご奉仕によって成り立っていたことを心から感謝します。
イエスという名前は「神は救い主である」ことを意味し、イエスのもう一つの名前であるインマヌエルは 「神が私たちと共におられる」ことを意味しています。 私はこのクリスマス、イエス・キリストが救い主であること、そして、その方が私たちと共におられることを実体験しました。
クリスマス期間中、突然自分の声が出なくなってしまいました。皆さんにもお祈りや助言をいただきながら、メッセージや賛美をし続けたので すが、主は癒してくださいました。イエス様は、今も救い主であり、癒し主であること、そして、いつも私たちと共におられることを感謝しようではありませんか。
もし私たちの中で、人生に躓いてしまうような悪いことが起こったり、自分の弱さを痛感することがあったとしても、イエス様が常に共におられますから大丈夫です。神様すべてのことを相働かせて、益としてくださることを感謝しましょう。
今日お読みした聖書箇所は、私たちもよく知って いるお話ですが、ここで御使いが語られた言葉だけ で終わらせることなく、自分事として受け止めましょ う。3つのポイントを確認します。
「あなたがたのために、救い主がお生まれになり ました(11節)」とありますが、「あなたがた」それはすなわち「私のため」です。
私は罪人のかしらであると語ったパウロと同様に、救い主が来られたのは罪人である私のためだと告白したいのです。罪人すべての罪を贖い、清め、取り除くために救い主が来たのです。
「すべての民の罪」の「民」を、いつまでも「民 のままで終わらせるのではなく、「私の罪」、「私を救ってくださる救い主」と読み変えましょう。
2.“約束されたもの”から“自ら実体験するも の”への転換!
御使いたちが「救い主がお生まれになった」と宣言した御約束が、私たちのためのものとして実体験するものでありたいと思います。
罪人であったが私が変えられ、そして、すべての民が罪から解放され、救ってくださる方がイエス様であることを知り、私たちはその恵みを実体験できることを感謝したいと思います。
3.“一般的な救い”から“個人における事実と しての救い”への転換!
神であられる救い主イエス・キリストが、人となって この世に降り、私たちを救い、平安と喜び、永遠のいのちを与えてくださるという全人類に対する約束 があります。
しかし、それを一般的な救いで終わることなく、個人における事実としての救いを体験しよう ではありませんか。パウロは、救いの事実はそのまま 受け入れて良いと語っています。パウロ自身も救いを体験したからです。
このクリスマス、私たちも救われた当事者として喜んで歩む者となりましょう。
4.鍵となる、ひとり子なる救い主!
神様というものを信じている人は多いでしょう。しかし、クリスチャンはその一歩先が大切です。単なる神様ではなく、聖書が語るのは救いです。自分の力では生まれ変わることができない私たちにとって、救われることが大切なのです。救い主としてご自分を現わしてくださったイエス様こそが素晴らしいのです。救いの鍵は、イエスにあることを知り、受け入れましょう。新しい人生は、ただひとり、イエス様を通して与えられるのです!