私たちの現実の中に現れる御子の救い

イザヤ9章1節~7節

…やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。…戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。


今年のクリスマスを通して、クリスマスの物語をおとぎ話では終わらせない、神の御業を成してくださる、リアルな救い主イエスを人々にお伝えしたいと、改めて思っています。

今日の聖書箇所は、救い主の誕生の預言として受けとめられている箇所です。神様からの約束のメッセージだからと言って、ほんわかした夢物語のようなものではなく、厳しさや残酷さが伴う現実の有様をふまえた預言であることを共に味わいたいのです。この時代、イスラエルは、アッシリヤやバビロンという大国からの侵略により、国王、王族等は捕虜とされ、一般の人々は流浪の民となる、いわば国が滅ぼされるような状況に陥っていくのです。しかし、このような状況でも、悔い改めるならば神がイスラエルを回復してくださるという預言が、メシアの到来と重ね合わせられるように人々に与えられていたのです。都は破壊され、民は極貧の状態の中、そこに回復をもたらす、王となる方が生まれ、神の民の歴史がもう一度起こる、そのような約束が与えられていたのです。 4つのポイントを押さえて、クリスマスの物語を私たちの現実の人生に当てはめ、神様からの祝福を体験しましょう!

1.生活の中にあるリアルな苦難!

聖書の物語は、きれいごとの人生訓ではありません。聖書の御言葉や神の恵みは、紛れもない現実や痛みのただ中にあります。イスラエルの民にとっては、国が滅亡するという試練や困難がありました。そこに神の恵みがもたらされるという預言がなされたのです。これを自分の人生に当てはめ、あなたの背負っている現実こそが、神の救いの預言や、救い主の御業を受け止める場となることを感謝しましょう。不条理だと思えるようなあなたの人生の現実にこそ、実は救い主イエスを体験する条件が整えられているのです。

2.苦しみの連続から恵みの循環へ!

ありとあらゆる喜びが神の前に立つ人々のために生まれるようになったと聖書は語っています。神を知らないまま歩んでいた人生から、私たちはイエスを信じる者に変えられました。それによって、私たちの生活そのものが、恵みと祝福の循環に満ち溢れる世界へと転換されていることを受け入れましょう。私たちの人生の流れは変えられるのです。このお約束を自分のものとしましょう。

3.実体験としての、苦しみや悩みからの解放!

人生の苦しみの象徴となるもの(イスラエル人は、戦場で履いていた靴等)を握っていませんか? イエスと出会う時、過去の苦しみは消え、悩みの痕跡は取り除かれ、解放されることを感謝しましょう!

4.鍵となる、ひとり子なる救い主!

神様というものを信じている人は多いでしょう。しかし、クリスチャンはその一歩先が大切です。単なる神様ではなく、聖書が語るのは救いです。自分の力では生まれ変わることができない私たちにとって、救われることが大切なのです。救い主としてご自分を現わしてくださったイエス様こそが素晴らしいのです。救いの鍵は、イエスにあることを知り、受け入れましょう。新しい人生は、ただひとり、イエス様を通して与えられるのです!

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