救い主キリストによるいやし
それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」
紅葉の美しさを感じる季節となりました。これからのクリスマスシーズン、日々喜びと感謝を持って歩んでまいりましょう。
昨日は婦人会の皆さんが秋のドライブに出かけ、更に、喜安兄のNPOの働きの一環として、教会での「ハレルヤ子ども食堂」も始まりました。初めての方を含めて30名近くの方が教会に来てくださいました。
ご奉仕にご参加くださいました兄弟姉妹に心から感謝しています。単なる食事の配給ではなく、教会だからこそできる子ども食堂を目指して、月に2回、1年の予定でチャレンジします。
私たちも、今も生きて働かれるイエス様と共に、生きた教会で祝福をいただきましょう。
今日の聖書箇所では、イエス様が伝道を始められた直後の癒しについて語られています。イエス様は、ペテロのしゅうとめを癒し、悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒されました。これらのことを受け、筆者はイザヤの預言や旧約時代の神様の約束が実現したと語ります(イザヤ53:4-6、Ⅰペテロ2:22-25)。
イエス様があらゆる病や煩いから人々を癒してくださるということは、全て神様の救いのご計画です。癒しは御心の中で備えられた特別な恵みであり、そのご計画は実現していくのです。
救い主イエス・キリストによる癒しには特別な意味があるということを覚え、3つのポイントを学びましょう。
1.癒しは約束されていた
癒しは、たまたま運よく起こるようになったものではありません。イエス様がお生まれになる何百年も昔から、「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」という神様の約束が与えられ、預言者イザヤによって語られていました。
罪深い私たちが救い主によって癒されることは、神様がご計画された「実現されるべき約束」であったのです。
2.癒しは実現し、事実となった
イエス様は、熱で苦しむペテロのしゅうとめに手を置いてたちどころに癒し、また悪霊につかれた人や癒しを必要としていた人々も残らず癒されました。
このことからマタイは、預言者イザヤを通して語られた預言が成就し、神様の約束が事実となったことの証明だと知ったのでした。
預言は、ただ語られるだけでは終わりません。救い主イエス・キリストがこの世に来てくださり、私たちの煩い一切を引き受け、病を背負ってくださったことにより、この預言が事実となりました。
3.信じる者に与えられる癒し
救い主イエス・キリストの打ち傷による癒しの御業は、イエス様がおられた時代の者だけに与えられた事実ではなく、後の時代でもキリストを救い主と信じる者には誰にでも与えられる恵みであると、ペテロは語っています。
この時代に生きる私たちにも、罪が赦されて魂が救われると同時に、私たちが担う痛みや煩い、病は全て癒されるという恵みをいただくことができます。
この救い主イエス・キリストによる癒しは、キリストを信じて教会に属す全ての信徒たちに与えられる恵みであることを感謝して受けとめましょう。
私たちは今日、神様の御言葉を約束としていただき、癒されることを感謝します。
4.素直に悔い改める
自分の損得勘定で生きていないか、自分を神の光に照らして自分がどういう者かを素直に認めましょう。
神の前で悔い改めるなら、人生の再スタートを切ることができます。イエスの十字架と復活の恵みをいただくには、悔い改め、人生の再スタートを神に与えられることが必要です。
今、心を微調整しましょう。どこかでパリサイ人になっていないか、素直に自分を見つめ、取税人の祈りを自分のものとしましょう。イエス様が自分をご覧になって、何と言われるかを考えましょう。
自分の弱さ、だらしなさを素直に認め、悔い改めて祈るなら、もっと成長してより大きなものを実現できます。
5.集まり続けよう
初代教会が誕生してから、何十年も経って書かれたヘブル書は、教会に宛てた書簡です。
その10章25節に「いっしょに集まることをやめたりしないで」とあるように、何十年も教会に通ったから、もういいのではなく、むしろ集まり続け、聖霊の力で満たされ、互いに励まし合い、主によって祝福されましょう。
教会の生命線は集まりにあります。この夏、共に集まる価値を頂いて前進しようではありませんか!