神の臨在に立ち癒されよう
詩篇91篇1節~16節
…まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。…彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。
私たちの毎日の歩みの中にあるはずの味わい深い季節感が、コロナによって奪われてしまっていることを感じます。この2021年の夏も、クリスチャンである私たちは、主が備えておられる恵みを受けることができますように。
私のこの夏のテーマは、「明るく楽しく過ごす!」です。コロナウイルスの感染対策を万全にし、猛暑の夏にも勝る、主の特別な恵みをいただいて前進してまいりましょう。
私たち自身の心にある思いや、世の中の流行は目まぐるしく変化していきます。しかし、何があっても変わらない神様からの約束を、この癒しの礼拝でいただきましょう。「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ(イザヤ40:8)」とあるように、天地宇宙を創られた神様はいつまでも変わりません。
そして、神様が私たちに与えてくださった恵みの約束と御言葉も変わりません。この変わらない神様に私たちの人生の錨をおろし、信仰を働かせてまいりましょう。
今日、私たちは自分の願いを叶えてもらうことばかりを求めるのではなく、神様の臨在に触れる時に、感謝をもってへりくだる者となることを願います。
今日の詩篇の作者は、神の臨在に触れています。この箇所から、3つのポイントを確認しましょう。
1.主の御前で臨在に触れる
1節には、「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る」とあります。私たちは知識や自身の努力によって神様を求めるだけでなく、何と全能者であり、命の与え主である神様の臨在、神のおられる所に私たちは守られるように立つことができることを感謝したいのです。
私たちに命を与え、罪を赦し、救ってくださった神様がおられる場所で、私たちは霊的な身なりを整えて御前に立ちましょう。クリスチャンとされた私たちは弱い者ですが、もう、一人ぼっちにはなりません。神様の臨在に触れることができ、その陰に宿ることができることを感謝しましょう。
2.主の臨在に宿る者には癒しの約束がある
10節には、「わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない」とあります。どんな災いも病気も私たちには近づかない! 私たちは主によって病から守られ、癒していだだくことができます。
そして命の与え主である神様は、私たちの救い主であり、癒し主としてご自身を私たちに示してくださっています。神様の臨在に触れた私たちには、病の癒しと霊的な解放が約束されていることを感謝します。
3.長い命で満たされ導かれる
16節には、「わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう」とあります。
私たちは、病名とその正体を知って病に怯えてはいけません。神様の名を知っている私たちだからこそ、神様は私たちを高く上げてくださるのです。私たちには癒しの恵みが与えられており、将来にも続く命と喜びの約束があることを知りましょう。
今、霊的なたたずまいを整えましょう。私たちのような弱い小さな者が、神の臨在に立つことができるという、その驚くべき恵みに感謝し、霊的な空間、神の御前に立ちたいと思います。そして、癒しを求めて祈りましょう。
4.集まりは祈りを生み出し奇跡を生む
使徒12章でペテロたちが牢に捕らえられていた時、「…大ぜいの人が集まって、祈っていた」のです。すると、御使いによって助け出される奇跡が起こります。
ペテロは、主が御使いを遣わして救い出してくださったと分かり、彼らが集まっている所へ向かいます。
集まりは、私たちに与えられている霊的な力を発揮させます。祈りを生み出し、聖霊の力を生み出し、神の力を引き寄せます。私たちは、共に集まることによって、本当の力が出るようになります。
5.集まり続けよう
初代教会が誕生してから、何十年も経って書かれたヘブル書は、教会に宛てた書簡です。
その10章25節に「いっしょに集まることをやめたりしないで」とあるように、何十年も教会に通ったから、もういいのではなく、むしろ集まり続け、聖霊の力で満たされ、互いに励まし合い、主によって祝福されましょう。
教会の生命線は集まりにあります。この夏、共に集まる価値を頂いて前進しようではありませんか!