主を仰ぎ見る信仰
ヨハネの福音書3章14節~15節、民数記21章4節~9節
モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
…民は神とモーセに逆らって言った。…そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。…モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。
今日は、母の日です。どのような時にも笑顔でご家族と教会に仕えておられる姉妹たちに、健康と主からの限りない祝福をお祈りしています。
今日はもう一つ、私たちの教会の創立牧師である万代恒雄牧師の召天記念日です。60年以上前、東京から松山に渡り、銀天街でミカン箱の上で伝道をしたところから始まりました。日本のリバイバルを求め、死に至るまで伝道し続けた万代恒雄牧師の信仰に倣(なら)いたいと思います。
その力強い働きによって多くの魂が救われ、海外伝道やラジオ伝道、神学校の働き、現在の松山福音センターの働きの柱が作られたことを感謝します。また、この福音を信じた信仰の先輩である多くの兄弟姉妹が、死に至るまで主に忠実であり続けたことを感謝し、私たちの信仰も熱心であるよう、祈り前進してまいりましょう。
GWが明けてもコロナが収束する気配もなく、協調性のある私たち日本人は、気付かなくても必ずマイナスの影響を受けています。心の持ち方まで病人にならないように注意しましょう。コロナイコール不幸ではありません。どのような状況であっても神様に、教会に繋がることを切に求めてまいりましょう。
今日の癒しの礼拝で癒されるためのシンプルで大切なポイントを確認してまいりましょう。
1.私たちは弱くつぶやく性質がある
この民数記は、イスラエル人が神様からのすごい奇跡でエジプトでの400年の奴隷生活から解放され、約束の地カナンへ向かう希望の旅を始めた箇所です。私たちから見れば、素晴らしい奇跡です。
しかし、現実は、カナンまで荒野を歩いて行く困難な旅の中で、食料や水に事欠くとすぐに主とモーセを非難しつぶやいたのです。私たちはすぐに文句を言い、そして必ず身勝手なへりくつや、文句の言い訳をするのです。
しかし、それは一体何を招いたでしょうか。病気、死です。神が燃える蛇を送り、かまれた者は死んだのです。神様に裁かれたと気づいたイスラエル人は、悔い改めて蛇が取り去られるように祈ってほしいとモーセに言ったのでした。神様は、モーセに青銅の蛇を作って旗ざおの上に掲げるように言われ、蛇にかまれた者はその青銅の蛇を仰ぎ見ると癒されたのです。
私たち人間は弱く、どんなにすばらしい恵みがあってもすぐにつぶやく者で、それが当然だとへりくつを言い、自分を正当化するような弱い者なのです。
2.悔い改めて主を仰ぎ見る
イエス様は、この出来事は十字架の型、ひとつのモデルだと言われました。イエス様は、このように弱い私たちの罪をすべて身代わりに背負って木の上に上げられた、すなわち十字架にはりつけにされたのです。
自分の努力や行いではなく、イエスを救い主として信じ受け入れた者は皆救われるのです。十字架のイエスを仰ぎ見て信じ受け入れることです。信仰という日本語の通りに、主を信じて仰ぎ見るのです。
自分の信じたいことだけを信じる信心では救われません。人を批判して恨みごとを言っても、悪魔に利用され、不幸に引き込まれるだけです。そうではなく、ただシンプルにイエスを仰ぎ見るのです。信仰の土台は、主イエス様を救い主として信じ受け入れることです。そして今も、イエスの御名によって祈れば救われ、癒されます。
3.救いは神のご計画によるという事実
私たちは、天地宇宙が創造される前から神様に選ばれ、愛されている存在です。そして、私たちがイエス様に出会って救われることもはじめから計画されていました。
神様の深いご計画の中で、私たちの人生には神様の愛が満ちていることを感謝します。
今、コロナの克服方法について答えを知っている人は誰もいません。人間の知恵では、この世の中は分からないことばかりです。
しかし、私たちには分かっている事実があります。私たちにはたましいの救いが与えられており、十字架の御業は既に完成しています。そして、私たちが神様によって選ばれているということは揺るぎない事実なのです。
さあ、私たちはクリスチャンとして力強く前進しましょう。
4.神の愛が常に注がれている
誰もが愛を求めますが、愛は見つからず、誰にも愛されないと嘆く人もいます。
しかし聖書は、「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです(Ⅰヨハネ4:9)」と語り、救い主イエス・キリストによって現され事実となった愛が、ここに存在すると断言しています。
人の愛が不確かで弱いことを感じますが、私たちの人生の道には、神の愛があります。
「私の人生は、あなたの御前にあります。私の人生の全てが、神と共にあります」と告白し、信仰の一本道をしっかりと歩み続けましょう。神の愛と恵みは、あなたに注がれています。