イエスに希望を持ち続けよ
…彼女は、…うしろから、イエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。…会堂管理者の家から人がやって来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」イエスは、…会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」…少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた。…彼らはたちまち非常な驚きに包まれた。… マルコの福音書5章21節~43節
今回は2つの物語を通して「イエスに希望を持ち続ける」という信仰を学びたいと思います。まず1つ目の物語は12年間長血をわずらっている女が癒されたお話です。彼女は医者からひどいめに会わされながら12年間もその病と闘いながら、あらゆる病院に通い続け治療法を探していました。当時は、保険制度も何もない時代ですから、自分の持ち物をみな売り払い治療費に費やしてしまいました。けれども、症状は全く良くはならず、かえって悪くなる一方でした。そんな時にイエスの噂を聞き、「イエスのお着物にさわることでもできれば、きっと直る」(28節)と考えたのです。
1.苦難の日に希望を持つ
箴言24:10には「苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い」とあります。苦難の日にこそ自分自身が持っている信仰がどのようなものなのか分かるのかもしれません。私たちも長血の女性のように、イエスのところにさえ行けばという希望と信仰を持って歩みたいと思います。人生の最悪な状態の中で、信仰を持ち希望を持つのは難しいでしょう。しかし、イエスが私たちを愛して下さっているのは変わらない真実です。そのイエスが、御許(みもと)に来る私たちを待っておられます。
2.状況は変わってもイエスは変わらない
そして、2つ目の物語は会堂管理者ヤイロの娘が癒されたお話です。ヤイロは、どうか死にかけている娘に御手を置き助けて欲しい、とイエスの前にひれ伏しました。イエスがその願いを聞いてヤイロの家に行く途中に長血をわずらっていた女性に会ったのです。その女性とイエスが話している間に、娘が亡くなったという報告がヤイロに届きました。ヤイロの心には、娘は死んでしまったのだから、もうイエスに家へ来ていただく必要もなくなった、という悲しさと諦めがあったことでしょう。しかしイエスは、「恐れないで、ただ信じていなさい」と言われてヤイロの家に行くことを躊躇しませんでした。このことから教えられるのは、何か問題が起きた時、私たちも一生懸命に祈りますが、状況が変わった際に、自分勝手に諦めたり祈りを止めていないだろうかということです。私たちの側の状況が変わったとしても、あなたが主に求めた願いによって動き始められたイエスは、途中で止めることはありません。
.イエスを信じ続けられるよう祈る
私たちは、クリスチャンとして喜びを持って生きていますが、困難や試練に遭うこともあります。厳しいことがある中でも信仰を持ち続けることは、弱い人間の心では決して簡単なものではないでしょう。しっかりとした信仰を持つことが大切なことはわかっていますが、それができないこともあるでしょう。しかしそのような時でも、イエスは、ただご自身を信じ続けることを私たちに求めておられます。
信仰を失いそうになった時、長血の女性のようにイエスに望みを置き、ヤイロがイエスに励まされたように信仰をもう一度持ち直すことができますように。私たちもイエスに希望を置いて歩み続けることができるよう祈りましょう。