初代教会に溢れる聖霊の臨在

また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。…ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。また、エルサレムの付近の町から、大ぜいの人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた。                                                                                              使徒の働き5章12節~16節 

インド伝道のために皆さんが信仰を働かせて祈って下さったことを心から感謝します。その祈りに主は応え、ティルプールで鮮やかないやしの御業が現わされ、文字通りイエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じであることが証明されました。
インドは急速な経済発展を遂げていますが、政治的にはそれに逆行し、カースト制度の復興やヒンドゥー教からの改宗を禁じて、宣教師への扉は閉じられようとしています。そんな中で、私たちの働きは小さいかもしれませんが、宣教の働きを力強く進められていることに感謝します。主が働いてくださり、たまたまではなく、聖書の通りのことが今も起こっているのです。その恵みが私たちの教会にもあります。

1.ひとつ心で集まる人々がいる

使徒たちは大活躍しましたが、癒しと悪霊の解放は、人々がひとつ心になって集まるところでなされたのです。最近は技術発展により、世界中とつながることができます。しかし逆に、人間関係は希薄になり、本当に信頼し、愛し合える人が少なくなりました。アメリカ政府がネット関連企業から個人情報を収集していたことが発覚。愛のある信仰による交わりではなく、情報だけに人がつながる時代になりました。
しかし、神がアダムにエバを与えた以上、生身の人間が愛と命を寄せて集まるところに本当の幸せがあるのです。初代教会が用いられたのは、生きた信仰と主キリストの愛をもって集まる人々がいたからです。今回の伝道でも、日本での祈りとインドでの働きがひとつとなり、御業が現わされたのです。神の家族としての集まりがここにあることを喜びましょう。

2.増加し続ける人々の集まりがあった

生きた教会には、イエスの命があり、聖霊が注がれ、成長、前進、発展、増加があります。温かい命のあるところには、人々はどんどん集まるのです。命があると言いながら人が集まらないのは、聖霊の命が燃えていないからです。
教会が初代教会と同じように聖霊の命をいただいているとき人々は増えるのです。インドでは、法律で、クリスチャンになることを制限されていながら、それでも教会は成長しています。タンカチャン牧師の教会建設も、経済的に困難な中でも建設が続けられ、最大4000人収容の教会を建てようとしています。私たちも、成長し続ける教会を目指しましょう。

3.しるしと不思議が現わされる

12節や15~16節を見ると、ごく当たり前にしるしと不思議が現わされています。今回のインドでも、毎回しるしと不思議が起こりますようにと共に祈りました。命のある教会として、もっと鮮やかな主による癒しと悪の力からの解放の業が現わされる、本物の教会としての恵みをいただきたいのです。
初代教会から二千年経ちましたが、イエスを信じることにおいては常に本物の教会であり続けたいと願います。日本は、世界で最も宣教の難しい地かもしれませんが、それでも挑戦するのです。命の溢れる教会をさらに成長させていきましょう。
今からの聖餐式も初代教会から続くものです。昨日も今日もいつまでも変わらないイエスの十字架の恵みがある教会とならせていただきましょう。

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