生きがいのある信仰生活主

第一テサロニケ3章6節~10節

ところが、今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。…このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。…私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。


大型連休が始まりました。日常生活の疲れがいやされ、リフレッシュされて、心配事や怒りやモヤモヤは、すべて神様に委ねて、喜びに満たされる一週間でありたいと思います。

すぐる一週間、私は全国の兄弟姉妹との集まりの中で、イエス様を喜びあい、感謝しあって、とても良い時間を過ごすことができました。救われた証し、癌からのいやしの証し、司会をした「日本国家祈祷会」では、教派教団を越えて日本の社会がキリストの愛に触れることができ、リバイバルがおこされるように、政治家の方々と祈りました。

このようにイエス様を信じて歩むと、恵みが途絶えることはありません。私たちの信じる神様は、罰を与えたり呪ったりする神ではなく、愛と救いの神であり、恵みと喜びを満たしてくださる命の与え主である、良い神様です。その良い信仰のイメージをゆるがさないようにしましょう。

1970年代は、高度経済成長期の前向きな良いイメージであふれていましたが、それから50年が経った今、世の中が暗くなったり、詐欺のような犯罪が増えたり、生活自体が難しくややこしく感じることが多くなりました。私たちの心の中は、ともすればマイナスのイメージが先行してしまい、人生までも暗くしてしまいます。同じ行動をするにしても、悪いマイナスイメージではなく、良いイメージを分かち合いながら歩んでまいりましょう。

最近、海外で日本語の「生きがい」という言葉が注目を浴びているそうです。聖書が語る「生きがい」のある信仰生活とはなんでしょうか。今日の聖書箇所からそのカギを押さえたいと思います。

1.マイナスの力に簡単に屈しない信仰

パウロはテサロニケの教会の不信仰や分裂を心配していました。しかし、弟子のテモテから、テサロニケの信徒たちはパウロが伝えた信仰に堅く踏みとどまっていると聞き、安心しました。

私たちの人生にも、人から悪いニュースを聞いたり、悪口を言われたり、仕事で行き詰まったり、経済的にピンチに陥ったり、病気になったりとマイナスの出来事が起こります。

しかし、イエス様が十字架の上で、ご自分の命までささげて、与えてくださった信仰ですから、クリスチャンであるあなたの歩みが揺るがされることはありません。問題が起こった時こそ、あなたの信仰を働かせましょう。

困った時にこそ、神様に祈ろうではありませんか。

2.どんな時も主キリストにつながっている信仰

自分の力だけに頼ろうとすると、私たちはもろいものです。自分の強さにこだわるのではなく、イエス様が一緒にいれば大丈夫、そのような信仰をもちましょう。

イエス様に結びついておくことが、生きがいにつながる信仰になるのです。

3.喜びと熱心さを生み出す信仰

諦めや不平不満、愚痴ではなく、私たちの人生には、喜びや熱心さが必要です。諦めない強い信仰を与えられていることを感謝しましょう。

イエス様は命まで捨てて、私たちを救ってくださいました。私たちは、キリストに愛されています。聖霊の力を与えられて、人の力以上のもので戦うことができるのです。神から与えられた生きがいをもって前進し、ますます祝福されようではありませんか。

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