主に向かう信仰の行動

マタイの福音書26章6節~13節

…ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。…」するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。…まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」


イエス様の十字架によって私たちの罪が清められ、私たちは神の子どもとされ、神様との交わりを体験し、永遠のいのちの恵みを頂いていることを感謝したいと思います。今日の聖餐式を通して私たちはクリスチャンとして生きていくことを自覚し、日々生活の中で具体的な行動をしていきましょう。

先週はメトロの働きの視察に子どもたちの里親となってくださっている方々とフィリピンへ行っておりました。皆さんのお祈りを心から感謝します。

どんな試練困難の中にあっても、必ずイエス様が共におられ、愛されていることを真剣に子どもたちに語るスタッフたちの姿を目の当たりし、改めてクリスチャンによる信仰の行動には力があることを感じました。

毎週世界中の60万人の子どもたちにイエス様の愛を伝えることができている恵みを感謝しました。

今日は一人の女性がイエス様の頭に高価な香油を注ぐという行動から、イエス様との繋がりを学びたいのです。女性の行動はほかの人からは理解されませんでしたが、イエス様は彼女のことを認め、世界中でこの福音が宣べ伝えられる所なら、女性のしたことも語られ、記念となると約束されました。

私たちの信仰を考える時に、イエス様と個人的に繋がることと同時に、具体的な行動を伴うものだということを忘れないで受けとめましょう。この女性の行動には4つの意味がありました。それを確認しましょう。

1.意思の伴った明確な行動!

彼女のとった行動は、彼女の意思を伴う明確な行動だったことを知りたいと思います。何かあやふやで中途半端なものではなく、自らこのようにしたいと考え、行動できたのは明確な信仰によるものでした。

特に日本人の私たちは普段、無意識のうちに習慣や、周りに流されて行動してしまいがちです。信仰による、はっきりとした意志の伴った行動を意識しましょう。

2.常識や打算を超えた行動!

ここでの常識や打算は「お金」でした。高価な香油、今のお金なら約300万円になるとも言われ、周囲からはもったいない、なぜその香油を売って貧しい人々に施すことことに使わないのかと言われました。

私たちの日常の行動は、しきたりや常識に常に囚われていることが多いのです。しかし、彼女の信仰の行動は常識や打算を超えていたのです。

3.主キリストに向かっての行動!

彼女は、困っている人や貧しい人のためとか、知り合いのために行動したのではなく、イエス様のために行動しました。

クリスチャンの信仰は自分の悟りだけで、聖書を学んで知識を得るだけでは終わりません。必ずイエス様に結びつくものなのです。

4.主に価値を見出される行動!

女性の信仰の行動はイエス様に愛を表し、精いっぱいの感謝を捧げた行動でした。しかし、彼女がしたこと以上の価値をイエス様が見出してくださいました。

イエス様は自らの葬りの準備に、その女性が香油を注いでくれたのだと話し、そのことは2000年経った現在も私たちクリスチャンに語り継がれているのです。イエス様が想像以上の価値を見出し、用いてくださったのです。

私たちも信仰の伴う行動をイエス様に捧げてまいりましょう。

私は、2026年に開催される愛と希望の祭典・四国の実行委員長を引き受けました。私たちは、この教会だけでなく、四国中の教会の伝道と、リバイバルのために動き出します。私たちみんなで新しいことに挑戦し、新時代を切り開きましょう。

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