福音の交わりに生きる

ピリピ人への手紙1章1節~6節

…パウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。


今日皆さん、教会へ何を携えてやって来られましたか?

もし今日全くの手ぶらでいらしたとしても、神様は皆さんを手ぶらでは絶対帰しません。神様は豊かな恵み、祝福を今日も注いでくださいます。今日、神様の祝福を実感できなかったとしても、神様の祝福は必ず蓄えられ、時が来ると必ず注がれます。

反対に神の御前に出ることを疎かにするなら、しばらくは変哲のない日々を過ごせたとしても、気がつくと大変なことになっている場合があります。

今日の聖書箇所は、パウロがピリピにある教会に宛てて書き記した手紙(獄中書簡)の一部にあたります。5節を見てみると、「福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています」とあります。これを別の言い方にすると、「あなたがたの福音の交わりに感謝している」ともとらえることができます。

この箇所から「福音の交わりに生きる」をテーマに3つのことを学んでまいりましょう。

1.福音の交わりの必要性

福音の交わりは信仰の歩みになくてはならないものです。

イエス様を信じる信仰によって私たちは救われました。イエス様は私たちの罪を贖い、神様と和解し、私たちを生かすために十字架にかかってくださいました。そして、3日目に甦り、私たちに永遠の命を与え、神の子どもとして生きる者としてくださったのです。

当然、そこには神様との交わりというものが生まれてきます。福音の交わりは、まず神様との交わり、神様に聴いて祈ることができる点にあります。

そして、神様との個人的な交わりだけでなく、教会に集まる人々との交わりの中に私たちは加えられるのです。

救いには二つの側面があります。神との個人的交わりと、神により集められた人同士の交わりです。どちらか一方ではなく、両方の交わりが必要なのです。

2.福音の交わりの継続性

5節に「最初の日から今日まで」と記されています。パウロがピリピに福音の恵みを届けた「最初の日」から、手紙が書かれた「今」に至るまで福音の交わりがあったのです。

そして、キリストが地上に来るまで福音の交わりは継続されるのです。私たちは継続する福音の交わりの中に生かされていることを心に留めましょう。

3.福音の交わりの持つ可能性

福音の交わりの中で私たちは、慰めと励ましを与えていただくことができるのです。

パウロもピリピの教会の人々から慰め励ましを受けていました。ピリピの教会は物心両面でパウロの働きを支えてくれていたのです。

福音の交わりは私たちに喜びをもたらします。監獄の中で身の不自由さを覚えながらも、彼は福音の交わりによって喜びを得ていたのです。

そして、福音の交わりによって、さらに信仰を成長、前進させることができます。「完成させてくださる」(1:6)とあるように、「完成」に至るまで私たちは成長し、進歩していくのです。

また、福音の交わりの持つ可能性は一人ぼっちで祈るよりも、交わりの中でもっと叶えられる可能性を秘めています。

私たちは交わりの中に加わっていき、福音の恵みにあずかりながら、秋の日々も恵み溢れる信仰の歩みをしてまいりましょう!

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