神にあって何歳からでも恵まれよう

創世記12章1節~9節

…「あなたは、…わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。…」アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。…アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、カランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった。…当時、その地にはカナン人がいた。そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。…


今週の歩みが愛、喜びで満たされ、豊かな神様からの恵みの流れの中にありますように。

明日は「敬老の日」で、本日教会でも『人生の先輩方をお祝いする会』が持たれます。大切なことは、何歳になっても毎日の生活が生き生き、わくわくし、元気に長生きすることです。

現代は情報技術が発達し、多くの有益な情報を入手できるようになりました。しかし、多くの情報を手にしても、それを正しく使いこなし、その恩恵を享受できているかが問題です。どうしたら幸せになれるのだろうと、あちこち情報を探し回ってもきりがありません。私たちクリスチャンは、世の中のすべての情報は知らなくても、神様のお言葉、聖書があり、神様の祝福のお約束をいただいているのですから、迷ったり悩んだりしてはなりません。

今日の聖書の箇所は、アブラハムが神様からの突然の選びとお声がけをいただき、自分の生まれ故郷を出て、神様が大いなる国民としようとおっしゃった約束の地カナンへと旅をする物語です。

クリスチャンは、礼拝に出席する、賛美する、お祈りをする、牧師のメッセージを聴くだけではありません。神様から直接お声がけをいただき、神様に導かれて人生を歩んで行くことができるのです。神様は一人一人にかけがえのない祝福のご計画を持っておられます。

神様を見上げて生きる私たちが人生で求められていること、3つを考えてみましょう。

1.人生は神様からのビジョンをもって歩むもの

神様はアブラハムに、ありきたりで、マンネリ化した世界ではなく、新しく示す未知の地に行けと言われました。そこであなたは「大いなる国民」と呼ばれ、あなたやあなたの家族、あなたと出会う人々も、みんな祝福されると約束されました。

私たちの人生は、神様からの素晴らしい目標や夢、ゴールが与えられているはずです。3年半のコロナ禍の影響で、知らず知らずのうちに私たちの心が消極的で、後ろ向きになっていませんか。あなたが何歳であっても、わくわくするような楽しい目標や、やりがいのあるビジョンをいただいて歩んでまいりましょう。

2.人生は、環境にかかわらず充実するもの

アブラハムの旅は、家族だけでなく、しもべたちや家畜まで伴っての大移動でした。また、目的地のカナンには言葉や生活習慣の異なる先住民がいました。アブラハムは不安や心配事でいっぱいだったかもしれません。

夢物語の完璧な人生など存在しません。しかし、神様のアブラハムに対するご計画は、一度も変わることはありませんでした。どんなに不都合に見える状況でも、神様が導いておられるのなら、神様は人生を祝福し、輝かせ、充実させてくださいます。

私たちは、周りの環境について文句ばかり言って神様の恵みを捨てることがないようにしましょう。どんな環境に置かれたとしても、神様が共におられるならば私たちの人生は必ず充実するのです。

3.人生は、何歳からでも輝くことができる

アブラハムが新しい人生を歩み始めた時は75歳でした。神様と向き合って歩む人生は、肉体の年齢は大きな障害になりません。

長生きしていても、神様に祈り、賛美し、喜んで生きることを忘れているようでは残念です。年齢にかかわらず、主にあって喜んで歩み始めようではありませんか。

イエス様を信じて生きることは本当に素晴らしいと、私たちが、罪人を救う神の義のすばらしさを現す証し人として用いていただきましょう。

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