目が開かれるように!
創世記21章8~19節
…サラは…アブラハムに言った。「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。」このことは、自分の子に関することなので、アブラハムは、非常に悩んだ。すると、神は…仰せられた。「…悩んではならない。…はしための子も、わたしは一つの国民としよう。」…翌朝早く、アブラハムは、…その子とともに彼女を送り出した。…神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで、言った。「ハガルよ。…恐れてはいけない…。」神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで行って皮袋に水を満たし、少年に飲ませた。
アブラハムは、自分の家庭内の跡継ぎ問題で悩んでいました。女奴隷の子イシュマエルを追い出すように、妻のサラが要求したからです。
「アブラハムは、非常に悩んだ」のです。
1.自分の目の中で悩むな!
神様の答えは明快そのもの! 「悩んではならない」。聖書の原文では「自分の目の中で悩むな」。
狭い視野で、自分の目に見えている世界の中で答えが見えないからと言って悩む必要はありません。ヘブル語の「悩む」には「苦しめる、砕く、引き裂く、悪い事をする」という意味があります。
悩む人は自分を苦しめ傷つけて、自分に悪い事をしているのです。悩むのをやめましょう。神様にゆだねましょう。神様が心配してくださるのです。「自分」が悩み心配するのではなく、「神様」が働いてくださると、信じ期待し、心の向きを変えるのです。
女奴隷の子をも「わたしは一つの国民としよう」と言われる「神様」が、私たちの目に見えていない素晴らしいことをしてくださるのです! 「自分の目の中で悩むな!」。
2.目が開かれるように!
自分の見える狭い世界の中で悩まないで、「目が開かれるように!」。女奴隷ハガルは、自分の目に、水も希望も見えずに泣いていました。しかし、神様がハガルの目を開かれたので、すぐ近くにあった井戸が見えて、彼女も子どもも命が助かるのです。
狭い自分の目には見えていなくても、実はすぐ近くにあるはずの答え、助け、チャンス、可能性、協力者…、目が開かれて、それらが見えますように! 問題の中には、必ず答えがあります。神様は、答えの出ない間違った問題を出題するような方ではなく、問題・試練と共に、脱出の道、乗り越えていける
答えを備えておられます。目が開かれますように!
また、自分の内にあるものに、目が開かれるように! 自分の内にある可能性が見えなくて、「もしできるなら」とか「私には無理だ」とか決めつけないでください。私たちの内には、「信じる者には、どんなことでもできるのです」という信仰の可能性があるのです。目が開かれますように!
そして、何よりも、すぐそこにおられる神様に、目が開かれるように! 「神はわれらの避け所、また力。苦しむ時、そこにある助け」です(詩篇46:1)。
ハガルの祈りに、少年の声に、聞いてくださる神様がそこにおられたのです。「主に不可能なことがあろうか(いや、ない)」とアブラハムに言われた主が、そこにおられたのです。目が開かれますように!
3.神は見ておられる!
私たちの目が開かれる前から、神様は「エル・ロイ(ご覧になる神)」、私たちを見ておられるのです。
ニュースにもならない家庭内の問題、私たちの小さな悩みにも目をとめてくださいます。私たちを愛しておられるからです。
私たちを「高価で尊い!」と見て、「わたしはあなたを愛している」と言って、いつも見守っておられる神様の目があります。そのことに、目が開かれるなら、悩みも恐れも消え去ります。完全な愛は恐れを締め出すからです。
「神様は、ずっと私を見てくださっていた。愛してくださっていた」。目が開かれて、気づくことができますように! こんな素晴らしい神様が私たちを見ておられることに!
4.人の弱みや限界を超える神の約束
時として、私たちは人生の中で自分の弱さと向き合わなければなりません。預言者エリヤが、燃え尽き弱り果てていた時、神は「あなたには預言者としての使命が残っている」と語られました。あなたの弱さや限界を超える神の約束は、確かに生きています。(Ⅰ列19:14-18)
5.生まれる前からの神の選び
救い主イエス・キリストと出会い、クリスチャンとされたことは、とてつもなく大きな恵みです。私たちは、生まれる前から選ばれ、神様のビジョンが備えられた特別な存在なのです。
困難の中で自分を過小評価せず、神から与えられたビジョンに立ち戻りましょう。信仰により、本来の自分へと原点回帰して、生き生きとした力強い歩みを取り戻しましょう。(エペソ1:3-7)