神に受け入れられる信仰
……信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、…彼が義人であることの証明を得ました。…彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
…カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。…
山口県の誤送金のニュースを見て、罪意識のない心の持ち主が増えてきていることに、怖さを覚えます。
私たちも日々信仰を働かせ、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、良いものを心に受とめて歩む必要があります。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とあります。信仰の目を通して、目に見えない世界を信じ、確信することです。
神様は私たちに信仰を求めておられます。
創世記4章では、アダムの子どものうち、カインは土を耕やす者、アベルは羊を飼う仕事を持ち、それぞれ神にいけにえを捧げました。カインは自分が収穫した農作物を捧げ、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で持って来ました。
主はアベルとその捧げ物に目を留められたが、カインとその捧げ物には目を留めませんでした。
それでカインはひどく怒り、顔を伏せたとあります。
なぜ、神様はアベルの捧げ物には目を留め、カインの捧げ物には目を留められなかったのでしょうか。ここに私たちが知らなければならない信仰の姿勢があります。
1.信仰の質の違い
カインもアベルも、自分の仕事で得た物を捧げました。同じように見える物、同じように見える行動ですが、そこには、込められた信仰の質の差があります。
アベルは羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で持って来ました。捧げ物に込められた思い、信仰の思いの差が明らかにあります。
私たちも見かけではなく、本質、中身にこだわる必要があります。今日も献金しますが、どんな動機で、どんな思いで、どんな気持ちを込めて捧げ物をしているのか。信仰の質の違いが出てくることを知らなければなりません。
2.神の思い?人との比較?
人はうわべを見ますが、神様は心を見られます。
アベルの捧げ物は、彼に命を与え、仕事を与え、生活を豊かに祝福してくださった神への感謝の捧げ物でした。
だから最善の物で神様に賛美を捧げたのです。
カインの捧げ物も、人の目には何も問題を感じませんが、神様に向かっての信仰という部分で、心が込もっていなかったのです。自分の捧げ物に目を留められなかったカインは怒り、神様に対して顔を伏せてしまいます。
しかしそれは、心の中に、神様を真っ直ぐに見ることのできないものがあったからです。そして、人類最初の殺人者となってしまいました。
私たちは捧げ物を神様に向かってしているのか、人と比較して自己満足のためにしているのか、その中身をもう一度、吟味する必要があります。
3.信仰の質を吟味するもの
6、7節に「あなたが正しく行ったのであれば」とあるように、自分の行動を神様の前に引き出して、信仰を吟味したいのです。
人ではなく、神を満足させる信仰かどうか、信仰の質が問われています。そしてそれは、信仰生活全てに当てはまることです。自分を超える神のいやしや助け、慰めが与えられるように祈りましょう。
医療従事者でも学校の先生でも、単なる仕事としてだけではなく、正直に、人を愛して、努力しながら、クリスチャンとしての人生観まで伝えようではありませんか。日々、当たり前のことをしていながらも、神様に愛される者になりましょう。
4.私の主!私の神!という信仰
トマスは、「私の主、私の神」と答えましたが、イエスは、「見たから信じるより、見ないで神の御言葉や人々の証言を聞いて信じる方が良い」と言われました。
この世には、自分中心、お金儲けが全て、死んだら終わりで今を楽もうという情報が溢れていますが、それは事実ではありません。
聖書は、人は一度死ぬことと、その後、神の前に立つことが決まっていると書かれています。
人生の情報戦の選択を間違わず、変わらない神の言葉に耳を傾けて、十字架と復活のイエスと共に生きましょう。
5.神の御計画の前進!
パウロは、伝道生涯において良いことも試練も経験したと記しています(ピリピ1:12)。あらゆることが相働いて福音を前進させ、神の御計画を進めるために役立っていることを感謝しています。私たちにも良いことも悪いことも起こりますが、主の計画は前進することを体験し感謝していきたいと思います。