地に下られた“ひとり子”が与える事実
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。…すべてのものは、この方によって造られた。…この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。…ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。…いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
今日からアドベント(待降節)です。クリスマスをお祝いし、喜んで歩んでまいりましょう。
ヨハネの1章には、「ことば」「いのち」「光」「闇」「この世」という言葉が多く使われています。これらの言葉を紐解いてみていくと、クリスマスの奇跡を通して4つの事実が与えられていることが分かります。
1.神の霊的な世界が存在する事実
私たちの住む世界には、人の目に見える世界だけでなく、神が働かれる目には見えない霊の世界が存在します。神が私たちの住む世界を創造され、神の世界である天の御国から、人のいのちとなる光が下ってこられました。
世の中にある「人の命は偶然誕生して進化を重ね、死んでしまえばそれで終わり」というような極端な進化論しか信じることのできない人は、神を信じることができません。目に見える世界しか受け入れられないからです。
しかし、私たちクリスチャンは神がこの地を創造して私たちに命を与えてくださったことを知っています。神によって、この目に見える世界が創られ、その世界に歪みが生じたことにより、神の世界から救い主を送ってくださったのです。
2.人間は弱い存在であるという事実
完璧で完全な人など存在しません。人間はどんなに一生懸命生きていても、闇や罪の力の支配を受ける弱い存在なのです。
最近のニュースでは、幼い子ども2人を放置して放火する事件や、同級生を包丁で刺し殺す事件が報道されています。私たちは普通に生活していても、悪魔にそそのかされて罪を犯してしまうような不完全な人間なのです。
だからこそ、私たちはいのちの光である救い主によって闇の中から救い出される必要があります。
3.神が人となられた事実
14節では「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」と語られています。イエス・キリストは、神でありながらも人として下って来てくださいました。
神が人となられたことは、単なる神話ではありません。ヨハネははっきりと「私たちはこの方の栄光を見た」と人々に伝えます。
ただ聖書の教えとして伝えたのではなく、実際に彼らは人となったキリストと出会い、御言葉を聞いてキリストの御業を目にし、十字架の死と復活を体験しました。そして、約束されていた聖霊もいただきました。
イエス様は、事実として本当にこの世に下って来られたのです。
4.信じる者に与えられる事実
「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった(12節)」とあるように、イエス様を信じるならば、私たちは神の子どもとして永遠のいのちをいただくことができます。魂が救われ、肉体に癒しが与えられ、心には平安が与えられます。また人生が変えられ、私たちの家族も救われて天国への希望を持って歩むことができるのです。この霊的な救いの事実が与えられていることを感謝します。
5.集まり続けよう
初代教会が誕生してから、何十年も経って書かれたヘブル書は、教会に宛てた書簡です。
その10章25節に「いっしょに集まることをやめたりしないで」とあるように、何十年も教会に通ったから、もういいのではなく、むしろ集まり続け、聖霊の力で満たされ、互いに励まし合い、主によって祝福されましょう。
教会の生命線は集まりにあります。この夏、共に集まる価値を頂いて前進しようではありませんか!