私たちを招かれる主

ヨハネの福音書1章43節~51節

…イエスは…ピリポを見つけて「わたしに従って来なさい。」と言われた。ピリポは…ナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。…来て、そして、見なさい。」…イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。…


昨日、愛と希望の祭典・四国の働きの一環として、「般若心経とキリスト教」というセミナーがこの教会で開催されました。その中で、仏教の思想は虚無感や無常観が支配する「無」であること。人生は苦しみの連続で行を積みながら、幸せへの知恵や悟りを求める無神論であるという仏教の思想を学びました。

私たちクリスチャンには、真の神様から与えられた恵みがあり、命と喜びがあります。イエス・キリストにより私たちを救い、弱い私たちのためには聖霊まで注いでくださる神様がおられます。仏教とはずいぶん違うことに私は心から感謝しています。

今日は、キリスト教的には宗教改革の日です。世の中ではハロウィンという悪霊のお祭りで幸せになる根拠がない馬鹿騒ぎとなっていますが、私たちは、クリスマスを祝います!

クリスマスは、キリストとラテン語のマス(祭り・礼拝)の合成語で、イエス様が私たちを救うためにこの世に来てくださったことを祝う時です。共に主に感謝してお祝いしましょう。

先週は、アンデレとペテロが救い主キリストに会った箇所でした。今日の箇所は、友人同士のピリポとナタナエルがイエス・キリストに出会います。私たちの信仰は、学びでも修行でもなく、救い主イエス様と出会うことです。

43節の「わたしに従って来なさい」という言葉を共に味わいたいと思います。

1.私たちを招いてくださる主がおられる

主は、私たちを招いてくださいます。マルコの福音書やマタイの福音書などでは「わたしについてきなさい。あなたを人間をとる漁師にしてあげよう」と言われます。

これまで魚しか捕らなかった漁師に、人々の魂を文字通り救って神のもとに導く魂の漁師へと新たな人生がイエス・キリストによって与えられたのでした。

私たちの信仰の原点に立ち返りましょう。キリストと出会い、そしてキリストは招いてくださいました。神様によって招かれ、結びつけられた関係は切れないものであることをはっきりと意識しておきましょう。

大成功しても、聖書に出てくる大金持ちのように、共に喜ぶ友だちや家族が誰もいないようでは、「愚か者」と言われます。幸せや豊かさは、周りの人々と分かち合ってこそ本物です。

2.私たちのことを全て知っておられるお方

ピリポに誘われてイエス様のところに導かれたナタナエルは、直接会ったこともなかった自分のことを主が知っておられることにびっくりします。

私たちの知識には限界がありますが、救い主イエスは、私たちのことを全て最初からご存知です。私たちのことを私たち以上に知っておられる救い主がいることを感謝したいと思います。

醜くて弱くて、足りないところや欠点だらけの私であることを主はご存知です。しかし、神の愛の中で私たちを選んで救ってくださるのです。私たちの過去も現在も未来も、私の知らないところまで全部知っておられる主がおられることを感謝したいと思います。

どのような困難な状況の中でも、「わたしに従って来なさい」と語ってくださる主がおられ、私たちの全てをご存知の神様が、私たちの人生に、私たちの考えを超えるすばらしいご計画をお持ちであることを感謝しましょう。

クリスマスに向かう秋の日々に、主の御業が私たちを通して現されることを期待して歩みましょう。

3.恵みの連鎖が待っている

アンデレは、兄であるシモンをイエス様のもとに連れて行きました。そこでシモンもキリストと出会い、ペテロ(岩という意味)という名前をイエス様から与えられます。

ペテロは弟子たちの中心的な人物、そして使徒たちのリーダーとなりました。その後も、世界の歴史を変える教会の指導者となり、ペテロを通して何百万人という人々が救われていきます。ペテロの原点は何でしょう。アンデレが語った「キリストと出会った」という言葉です。この信仰の告白から、ペテロの人生は動き始めました。小さな証しが祝福のからし種となり、大きく成長していったのです。

「キリストに出会いました」。このシンプルな信仰の告白を、私たちも周りの人々に伝えていきましょう。連鎖反応が起こり、神の恵みは成長していきます。

4.素直に悔い改める

自分の損得勘定で生きていないか、自分を神の光に照らして自分がどういう者かを素直に認めましょう。

神の前で悔い改めるなら、人生の再スタートを切ることができます。イエスの十字架と復活の恵みをいただくには、悔い改め、人生の再スタートを神に与えられることが必要です。

今、心を微調整しましょう。どこかでパリサイ人になっていないか、素直に自分を見つめ、取税人の祈りを自分のものとしましょう。イエス様が自分をご覧になって、何と言われるかを考えましょう。

自分の弱さ、だらしなさを素直に認め、悔い改めて祈るなら、もっと成長してより大きなものを実現できます。

5.集まり続けよう

初代教会が誕生してから、何十年も経って書かれたヘブル書は、教会に宛てた書簡です。

その10章25節に「いっしょに集まることをやめたりしないで」とあるように、何十年も教会に通ったから、もういいのではなく、むしろ集まり続け、聖霊の力で満たされ、互いに励まし合い、主によって祝福されましょう。

教会の生命線は集まりにあります。この夏、共に集まる価値を頂いて前進しようではありませんか!

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