“ひとりひとり”を癒される主

ルカの福音書4章40節~41節

日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。また、悪霊どもも、「あなたこそ神の子です。」と大声で叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは、悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。


先週の7日(木)には、千葉県北西部を震源地とする大きな揺れの地震が起こりました。私はその日、銀座で集会をしておりました。皆様からご心配のメールをいただき、ありがとうございます。

銀座では、ニュースで報道されているほど大きな揺れを感じませんでした。宿泊先のホテルも集会会場から近くにあり、守られたことを感謝しました。

私たちの生活の中では、恐れや不安を体験することがあります。しかし、どのような場面であってもイエス様が共にいてくださることを感謝します。

今日は癒しの礼拝です。イエス様を救い主として信じて歩む私たちには、癒される恵みが与えられていることを感謝します。

今日の聖書箇所から、癒し主であるイエス様について3つのポイントから学んでまいりましょう。

1.初めから癒し主であるお方

私たちには癒しの力がないので、イエス様に癒しを求めて祈ることが、何か「特別」なことであるように感じてはいませんか。

しかし、私たちがどのように感じるかなど関係なしに、イエス様は初めから癒し主であるお方です。イエス様のお言葉には霊的な力があり、イエス様が触れてくださるならば、確実に癒しが起こります。

イエス様は、神の御子であり癒し主であるというご性質を持っておられるお方です。そのようなお方が、私たちに向き合ってくださっています。

私たちは、イエス様が癒し主そのものであるということを認めましょう。

2.霊的な権威のある癒しの力を持つ

人々は、病気で苦しむ者をイエス様の元に連れてきました。人の目から見ると彼らは病気でしたが、中には悪霊がもたらした病的な現象を抱える人もいました。

イエス様は、ただ表面的な症状を癒したのではなく、悪霊を追放し、霊的な根本の部分をも癒してくださいました。イエス様は、悪霊に対しても権威ある癒しをもたらすことのできるお方です。

「今日は元気なので、癒しは必要ありません」と感じている方がいらっしゃるかもしれません。

ですが、悪霊によって心が疲れてしまっていたり、気持ちが落ち込んだりしてはいませんか。イエス様の癒しは、私たちの霊的な部分にまで及びます。どんな悪霊の働きであっても、追放してくださるのです。

3.ひとりひとりに触れてくださる

「イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた(40節)」とあります。

イエス様は、特別な人だけを選別して癒されたのではなく、ひとりひとりに手を置いて、癒しを求めた全ての人を癒してくださいました。これが、イエス様の癒しの本質です。

私たちがどこにいてどのような状況であっても、イエス様は私たちに触れて癒してくださるのです。

イエス様は、私たちひとりひとりに触れてくださいます。ですから、私たちも、ひとりひとりがどのように応答するかが問われているのです。

「わたしに何をしてほしいのか」と問われたバルテマイが「目が見えるようになることです」と答えたように、私たちも信仰を働かせてイエス様に正直に求めましょう。

信仰を持って主に応答してまいりましょう。

4.素直に悔い改める

自分の損得勘定で生きていないか、自分を神の光に照らして自分がどういう者かを素直に認めましょう。

神の前で悔い改めるなら、人生の再スタートを切ることができます。イエスの十字架と復活の恵みをいただくには、悔い改め、人生の再スタートを神に与えられることが必要です。

今、心を微調整しましょう。どこかでパリサイ人になっていないか、素直に自分を見つめ、取税人の祈りを自分のものとしましょう。イエス様が自分をご覧になって、何と言われるかを考えましょう。

自分の弱さ、だらしなさを素直に認め、悔い改めて祈るなら、もっと成長してより大きなものを実現できます。

5.集まり続けよう

初代教会が誕生してから、何十年も経って書かれたヘブル書は、教会に宛てた書簡です。

その10章25節に「いっしょに集まることをやめたりしないで」とあるように、何十年も教会に通ったから、もういいのではなく、むしろ集まり続け、聖霊の力で満たされ、互いに励まし合い、主によって祝福されましょう。

教会の生命線は集まりにあります。この夏、共に集まる価値を頂いて前進しようではありませんか!

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