主の後を十字架を負って歩もう!

マルコの福音書8章31節~36節

…人の子は必ず…殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。…ペテロは、イエスを…いさめ始めた。しかし、イエスは…言われた。「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。…だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。


早いもので一年の折り返し地点になろうとしています。神様は、この雨の季節にも私たちに様々な恵みを用意してくださっています。

コロナによって心を病む人が増えている中で、私たちクリスチャンは、神様からいただいた恵みを数えながら、笑顔と賛美で満たされ前進してまいりましょう。

昨年と今年は、コロナの影響を受けてバザーを開催することができませんでしたが、兄姉たちの熱い祈り、精一杯のご奉仕、そして尊い献金によって、バザーに代わる献金が捧げられました。ラジオ伝道はずっと続けていて経費は発生していますので、皆様に感謝しています。

教会は、世の中の価値観とは違う、神の聖霊の力が働くところです。人生はいつも順風ばかりではありません。しかし、逆風の中で絶望しても、イエス様が共におられるので、何があっても大丈夫です。平安、喜びを共に分かち合いましょう。

今日は聖餐式の礼拝です。イエス様と繋がり、一緒に生きていく体験をしましょう。

今日読んだ聖書箇所に出てくる弟子たちは、イエス様がどのようなお方であるのかをはっきりと理解していませんでした。イエス様の十字架と復活を体験した後でさえ、解かっていませんでした。

彼らは聖霊をいただいて初めて、霊の目が開かれたのです。そんな中で、イエス様は味わい深いお言葉を語られました。

1.神の御心を受け止める

ペテロは、良かれと思って言った言葉によって「下がれ。サタン」と、イエス様に叱られました。

私たちは、自身のことは否定的になりやすいにもかかわらず、他人のことになると楽観的になって希望を語り、建設的にアドバイスしたりします。

しかし聖書が語っているのは、人の処世訓や考え方ではなく、救われるためのお言葉やご計画であり、人間の知恵や方法論とは違います。神の御心を求めましょう。

2.罪人であることを認める

「自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい」とイエス様は言われました。

私たちは自分の力で自分を救うこともできないし、幸せになることもできない。自分こそが、不完全で弱い罪人であることを認め、十字架にかかるべきは私ですと、罪の悔い改めをしましょう。

3.イエスと共に死に、イエスと共に生きる

罪から逃げられない私たちは、まずイエス様と共に十字架に死んで、イエス様と共によみがえらせていただくことで、罪がきよめられた者として神の前に立つことができるのです。

そして、神の子としての権利を与えられ、永遠のいのちまでも約束されました。だから、どんな困難や問題や世の中の荒波が襲ってきても大丈夫! なぜなら、イエス様に命を委ね救われた者は、イエス様の恵みをいただいて勝利することができるからです。

幸せな人生を送りたいと誰もが願っています。それならば、真っ先にイエス様の救いをいただきましょう。イエス様の救いと永遠の命の約束がなければ、罪と裁きと呪いから抜け出せません。「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう」(36節)。

イエス・キリストによって救われていることを感謝しましょう。

4.朝の9時の体験

ペテロは、朝の9時だから酔っているのではないと言いました。人々に、酔っているように見えたのはなぜでしょう。聖霊を受けた弟子たちが皆、リアルな喜びと躍動感に溢れ、陽気に生き生きとしていたからでしょう。

主の御霊に満たされて、私たちもこのような体験をしたいのです。これを2000年前の出来事として片付けるのではなく、革命的なペテロたちの霊的体験を私たちも自分のものとして体験することができるように祈っていこうではありませんか。

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