主のスケールに相応しい信仰を
マタイの福音書14章22節~34節
…イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。弟子たちは、…恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。しかし、イエスは…「…わたしだ。恐れることはない。」と言われた。すると、ペテロが答えて言った。「主よ。…私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい。」と言われた。…ペテロは…水の上を歩いてイエスのほうに行った。…風を見て、こわくなり、沈みかけた…そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」…ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。…
今日は1月の最終日です。今月の信仰生活が守られたことを感謝して、御言葉に立って信仰を整え直してまいりましょう。
イエス様がどのようなお方なのか、本物の救い主であることを最大限に表現されているのが今日の聖書箇所です。
2021年の私たちの歩みがコロナの影響を受けることがあったとしても、力強くクリスチャンとしてイエス様と共に信仰を働かせて「Rebuild!」、恵みに向かって信仰を再構築してまいりましょう。
イエス様を聖書が語る通りのスケールで信じ受け入れ、私たちも成長させていただき、前進しましょう。今日の聖書箇所からイエス様がどのようなお方なのか、3つのポイントを通して確認してまいりましょう。
1.私たちの理解を超える偉大なお方
ここに、イエス様が湖の上を弟子たちの舟へ向かって歩いてきたとあっさり書かれています。しかし、弟子たちの常識では有り得ないことで、とても怯えたことが記されています。
弟子たちは、イエス様と寝食を共にし、イエス様の言動を通して、何となくイエス様を理解したつもりでいたと思います。その弟子たちの思いこみを打ち破ることをイエス様がされました。
私たちも、イエス様を自らのフィルターにはめ込んで、小さくすることのないように注意しましょう。イエス様は、常に私たちの理解、常識をはるかに超える偉大なお方であることを忘れてはならないのです。
聖書が語っているのは人の姿を取られた救い主イエスですが、神の御子であり、その御業、御力は私たちの理解を超えるお方であることを認めましょう。
2.チャレンジに導いてくださるお方
ペテロは好奇心旺盛なのか、突拍子もないことを口にします。それにイエス様は、「来なさい」とチャレンジに導いてくださいました。イエス様は否定的な回答をするのではなく、私たちができないと思うこと、あずかり知れないようなことであってもチャレンジへと導き、豊かな新しい恵みの世界へと導いてくださるお方であることを知りたいと思います。
イエス様をあなたのお手伝いで終わらせることのないようにしましょう。私たちは、クリスチャンになってから、新しい夢やビジョンが与えられ、そこに向かって祈り、チャレンジすることが増えているのではありませんか。
不可能を可能にするイエス様が救い主なのですから、私たちも神の可能性の世界に招き入れられ、世界が変えられていることを感謝したいのです。
3.失敗してもさらに導いてくださるお方
このあとペテロのチャレンジが成功しなかったことが記されています。私たちもイエス様から与えられたチャレンジがいつも成功するとは限りません。
なにしろ、私たちは弱く、直ぐに不信仰に陥るような存在であり、イエス様を信じて委ねれば良いとわかっていても十分に信仰を発揮することができなくなるからです。
しかし、信仰のチャレンジが失敗したとしても、イエス様は私たちを助け、励まし、さらに導いてくださるお方であることを感謝しましょう。
ペテロは、イエス様から信仰の弱さを指摘されたり叱られることもありましたが、イエス様は常にペテロのために祈り、向き合い、最後には、主の尊い働きを委ねられたではありませんか。
同じようにイエス様は、私たちにも期待し、励まし導いてくださることを感謝しましょう。