主に愛され主を愛する歩み

詩篇116篇1節~8節

私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。…私は苦しみと悲しみの中にあった。そのとき、私は主の御名を呼び求めた。…まことに、私たちの神はあわれみ深い。主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。


テレビや新聞の報道で、コロナウイルスのニュースを聞かない日はありません。不安なニュースが多い中、心の中までコロナウイルスに感染されないように気をつけましょう。感染症対策として気をつけることはたくさんありますが、そのことで体も頭もいっぱいになって、人々に対する感謝の気持ちや笑顔の挨拶を忘れてしまっては困ります。世の中の経済の動きが落ち込んでいることも心配ですが、人の心の明るさ、愛情、楽しみを失ってはいけません。緊急事態宣言が解除されて社会が変わっていく今、人間関係がさらに冷たくなると、「命の質」が問われることになります。大切なことを判断するときの基準は、神様の教えです。聖書のお言葉に従って、私たちの生き方の軸を整えていきましょう。
今は社会を動かしながら、コロナウイルスと向き合うことが大事です。人とも会うし、外食や買い物もする。その中で、どこかで誰かが感染するかもしれません。しかし、日本の医療は世界でも誇れる最高の水準です。感染者を差別したりせず、早く癒されるよう祈り、私たちの本来なすべき仕事、学び、交わりを整え直し、早く幸せな毎日を取り戻すことに力を尽くしたいと思います。今日から私たちの信仰生活を切り替えて、「イエス様と共に歩める人生は幸せです」と宣言しましょう。そして、この2020年の終わりには、いい時も悪い時もあったけれど、思い切りチャレンジしたと振り返れる一年にしたいと思います。
今日の聖書の個所で、「私は主を愛する」と信仰告白しています。私たちが愛し、求め、従う神様は、どのような神様なのでしょうか。

1.語り合ってくださる神様

クリスチャンの信仰は、信心や宗教観でなんとなく平安があるというのではありません。目の前に救い主イエス・キリストがおられます。独り相撲や独り芝居ではなく、神様に聞き、神様が語られる、交わりのあるやり取りであることを忘れてはなりません。

2.助けを求めることができる神様

苦しみや不安、恐怖の中にあるときにこそ、神様に祈りましょう。確かに人間である私たちは弱いです。しかし、弱い時にこそ、神様の力をいただいて強いのです。立ち上がれない、祈れないような時にも、神様を呼び求めましょう。祈る時は、完成されたきれいな言葉ではなく、正直に祈りましょう。神は「苦しむ時にそこにある助け」なのですから。

3.常によきものを与えてくださる神様

「困った時の神頼み」の神様ではなく、私たちが信じる神様は、常に私たちに寄り添って助けてくださり、恵みと祝福を与えてくださる神様であることを感謝しましょう。聖書の神様は、愛と恵みの神様です。無から有を生み出される創造の神様です。

4.実体験からの救いを告白できる神様

私たちは、イエス様と出会って救われた者です。涙とつまずきから助け出されて、今の私たちがあります。神様からの救いを実体験している者として歩んでまいりましょう。理論や実現しない約束や計画ではなく、すでに十字架上で死んでくださったイエス様の愛と救いを心から感謝して、今日の聖餐式の時を持ちたいと思います。