御心を分かち合う神様

創世記18章16節~33節

…主はこう考えられた。「…わたしが彼を選び出したのは、…アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」…主は仰せられた。「ソドムとゴモラの…罪はきわめて重い。…」…アブラハムは近づいて申し上げた。「…その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。…五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。…」主は答えられた。「もし…五十人の正しい者を町の中に見つけたら、…その町全部を赦そう。」…「…もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」…


今日が何の日かご存じですか。「フグの日」、「服の日」、「漫画の日」と様々ですが、私たちは、今日がどのような日であっても「今は恵みの時、今は救いの日(Ⅱコリント6:2)」として、過ごしていきましょう。
聖書の言葉を様々な角度から読んでみると、実に味わい深く、神様の恵みが私たちの中にあふれてきます。今日の箇所から、4つのことを学びましょう。

1.神様は御心を分かち合おうとされる

アブラハムのとりなしの祈り(27節)に目を向けてしまいがちですが、この祈り以上に、神様がどのような御心を分かち合おうとしておられるかを知らなければなりません。神様の御使いがアブラハムにあらわれ、アブラハムに子どもが生まれ、大いに祝福し、そしてソドムを裁くつもりであると伝えます。神様の計画をアブラハムに分かち、働きを担わせるためでもあったのです。神様はアブラハムを共同作業者とされ、「神の友と呼ばれた(ヤコブ2:23)」のです。神様は、今日この礼拝の中で、神様の御心を私たちと分かち合い、御心を共有しようとしておられます。神様は私たちを共同作業者とし、神様の友としておられることを心にとめておきたいと思います。

2.神様と共に歩み、神様の前に立ち続ける

神様の御心を理解することは、とても難しいものです。神様の御心が具体的に語られていたならば、私たちの人生は楽なものだったでしょう。聖書には、「霊的な知恵と理解力によって神のみこころに関する真の知識に満たされ(コロサイ1:9)」、「神を知るための知恵と啓示の御霊を与えてくださいますように(エペソ1:17)」とあります。私たちは、成すべきことを成していく中で、神様の御心を悟っていくのです。神様の御心がすぐには理解できないかもしれませんが、御心を知るために神様と共に歩み、神様の前に立ち続けたいと思うのです。その場所が教会であり、神様を礼拝するところなのです。

3.神様の御心は全てを赦す

アブラハムは、ソドムに対する裁きに「正しい者がいても、そうでない者と一緒に裁かれるのでしょうか」と祈りをささげました。神様は、正しい者がおれば、その町を滅ぼすことなく、全て赦そうとおっしゃってくださいましたが、ソドムは滅ぼされたのです。ロトは神様によって救われたのですが、正しい者ではありませんでした。私たちは、一人の正しい方を知っています。イエス・キリストです。神様は、たった一人の正しい者によって滅ぼすまい、全てを赦すと言われました。御子キリスト・イエスによって私たちの全てが赦されていることを知りましょう。このことが、私たちに明らかにされている神様の御心なのです。

4.神様と人の間に立つ者となる

アブラハムは、神様とソドムの町の人との間に立ちました。彼が、罪によって滅びゆくソドムの人々のために神様に向かった姿こそ、イエス様と同じ姿だったのです。人の姿となってこの世に来られたイエス様は、罪人の友となってくださいました。イエス様は、神様と私たちの間に立って和解の道を切り開いてくださったのです。私たちも、神様の御心を全世界の人々が知るために、神様と人の間に立つ者となることができますように。