神の子キリストが与えてくれるもの

ヨハネの福音書1章1~5節、9~13節

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。…この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
…この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。


いよいよ12月。しかし、一年の終わりを語るにはまだ早すぎます。クリスマスのこの月、愛する方々の癒しや救いの事柄に関わるとき、私たちの幸せの度合いはぐっと引き上げられます。私たちはイエスの証人となり、各地での集会にたくさんの人が集い、愛と恵みが溢れるようにと祈り、行動しましょう。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書はイエスのご生涯を伝えます。ヨハネの福音書が他の福音書と違うのは、イエス・キリストの物語を天地創造の時点から語っていることです。イエスとは、神のことばであり、御子であり、三位一体なる神として天地宇宙を創造した時にその場にまさにおられたお方なのです。神の御子であるキリストがこの世に下り、人となられたことによって、私たちに特別な恵みと祝福がもたらされました。イエスでなければ与えることができないものが与えられていることを感謝し、その特別な恵みに焦点を合わせ、イエスがどのようなお方なのか、学びたいと思います。

1.イエスは命の与え主

私たちは、どんなに努力をしても命を与えたり創り出したりすることはできません。人は、その命を長くすることもできません。人は弱くて儚いものです。そんな私たちにとってなぜ救い主であるイエスとの出会いが大切なのか。それは、このお方が命の与え主であり、このお方に命があるからです。
天地を創造された、すさまじいエネルギーと命に溢れる神を私たちに示すために、イエスはわざわざ人となって現れ、私たちと語り合い、私たちが御業を体験できるようにしてくださいました。イエスには命の根源があり、そこから涸れることのない命の水が溢れています。だからこそ、イエスが行かれる所どこにおいても、そのお言葉によって人々は救われ、どんな病も癒され、どんなに強い悪霊の力からも解放されたのです。イエスと共に歩むと、私たちの存在そのものが豊かにされるのです。

2.イエスは光の与え主

私たちの人生は放っておくと闇に覆われてしまいます。病、失業、破産、満たされない人間関係…。生身の私たちの人生は、光より闇の方が圧倒的に多くなってしまいます。救い主イエスがなぜそれほど素晴らしいのか。それは、このお方こそ闇の中に輝く光となってくださるからです。御言葉通り、闇の力がどうしても勝つことができないのがイエスなのです。小さな豆電球でも、真っ暗闇の中では道しるべになります。イエスは私たちの人生において光となってくださいました。光は最後に必ず勝つのです。光であるイエスを体験できることを感謝しましょう。

3.イエスは神の子どもとなる特権の与え主

イエスはご自分の命を通して、神と私たちを特別な関係で結び付け、永遠の命を約束してくださいました。神とのこの新しい関係に入らせていただけたことを喜びましょう。最近の社会においては、資格や免許を取りたい人が増えています。しかし、最高のものは神の子どもとしての特権です。これを忘れてどうしますか。この特権を与えることができるのは、救い主イエスだけです。
ご一緒にイエスの与えてくださる光、命、神の子どもとしての特権を頂き、その恵みを感謝しましょう。