神様が絶えず目を留めてくださる人生

申命記11章8節~12節

あなたがたは、私が、きょう、あなたに命じるすべての命令を守りなさい。そうすれば、あなたがたは、強くなり、あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地を所有することができ、また、主があなたがたの先祖たちに誓って、彼らとその子孫に与えると言われた地、乳と蜜の流れる国で、長生きすることができる。…渡って行って、所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天の雨で潤っている。そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。

2019年前半も神に守られたことを感謝し、明日からの後半の日々の祝福を求めて祈っていきましょう。
今日の御言葉を通して、絶えず私たちの人生の上に目を留めていてくださるという神のお約束をしっかりと私たちのものにしましょう。神はアブラハムに、神が示す地に行きなさい、そうすればあなたを大いなる国民とし、祝福しようとおっしゃいました。アブラハム→イサク→ヤコブ→ヨセフ→モーセの出エジプト→約束の地カナンへと、神の約束と導きは続きます。聖書で約束の地は「インマヌエルの国」、「うるわしい国」、「聖なる地」と呼ばれています。申命記では、「主が求められる地」(12節)と言われています。過酷なエジプトでの生活からイスラエルの民を救い出し、後は自分たちで頑張りなさいと言われたわけではなく、水や食料を与え、律法(十戒)を与え、神を礼拝することを教え、昼は雲の中に、夜は火の中にあって導き続け、ヨルダン川をせき止め川の中を歩いて渡らせ、エリコの町の攻略では、共にいることを証明して、約束の地へと導き続けました。選ばれたイスラエルの民のために神が絶えずすべての必要を満たし、目を留め続けてくださったのです。
世界の人口は現在76億人と言われていますが、神はイスラエルの民に目を留めてくださったように、あなたにも目を留め続けてくださっていることを知らなければなりません。聖書に登場する人々の例からそのことを学びましょう。

1.サラの女奴隷ハガル(創世記16章)

ハガルは、主人サラへの高ぶりから、サラにいじめられ、死を覚悟して家を出たときに、神はハガルのこれからの生き方について教えてくださいました。ハガルは悔い改めて、神のことを「エル・ロイ」(見てくださる方、すべてを知
り、目を留めてくださる方)と告白しました。アブラハムとサラにイサクが生まれた後も、神はハガルとその子イシュマエルをちゃんと生きていけるよう守ってくださいました。

2.十二弟子(ヨハネ14:16-18)

イエスが十二弟子を選ばれ、信仰を与え、訓練し、御業をあらわし、恵みを伝えました。イエスが十字架につけられ、復活し、天に帰られた後、もう一人の助け手として聖霊を送ると言われ、イエスは決して彼らを一人にはしませんでした。弟子たちが祈っていると天から約束通り聖霊が与えられ、大いなる働きが前進していきました。この聖霊が私たちの内にもいてくださるから感謝です。
私自身、十代半ば、何のために生きているのか悶々としていた時、教会に導かれ信仰を与えられ、高知から松山へと40年前に導かれてきました。数年前、その時に仕事でお世話になった工場長に会い、私がその会社に採用された時のことを聞きました。彼はクリスチャンで、当時万代恒雄先生が銀天街で路傍伝道をしていたのを知っていて、その教会に行っている私をすぐに採用してくださったそうです。私が知らぬ間に、神は働いていてくださっていたと知りました。そこで三年間働いた後、神学校を出て献身者へと神は導いてくださいました。皆さんの人生も、たまたま、偶然、運がよかったと思っていることがあるかもしれませんが、神は間違いなくあなたに目を留め、助け、いやし、祝福し、最高の人生に導き続けようとされる神だということを信じてまいりましょう。