教会のあり方・大切な3つのこと

ルカの福音書9章46節~50節

さて、弟子たちの間に、…だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。しかしイエスは、…彼らに言われた。「…このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。…一番小さい者が一番偉いのです。」ヨハネが答えて言った。「…先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、…私たちの仲間ではないので、やめさせたのです。」しかしイエスは、彼に言われた。「…あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方です。」

宗教と呼ばれるものの中には、構成しているメンバーをランク付けする所があります。制度のための役職以上の意味がその役職に与えられたり、貢献をする事でステージが上がっていく、そのような宗教があります。けれど「教会」には、そこに集まっているメンバーの上下関係はありません。しかしイエスの弟子や初代の教会の人たちの中では、「誰が一番偉いのか?」という議論がしばしば持ち上がりました。その議論に対するイエスの答えは、彼らを、また後の「教会」を戒めるものでありました。(ルカ9:47,48)
今日の聖書箇所から「教会のあり方」として3つの大切な事を学びたいのです。

1.取るに足りない者が受け入れられる場所

イエスが「一番小さい者が一番偉い」と言われたのは、教会は、誰が偉いかを問うような場所ではないと教えられたのです。聖書の時代、取るに足りない存在だった「子ども」、そのような者を受け入れなければ、イエスを受け入れたとは言えないと教えられたのです。また、ヨハネやペテロのことは「無学な普通の人」と使徒の働きには記されています。そして、ガリラヤ出身の彼らは、ユダヤ人の世界では重んじられませんでした。そんな彼らが、イエスに受け入れられているばかりか、イエスの弟子とされているのです。「教会」という場所は、数に数えられない者が受け入れられる場所なのです。だから私たちもここに居られるのです! 居ても居なくてもいいような私が受け入れられて
いることに感謝しましょう! そして私たちは、本当に小さい者を受け入れる者になりたいのです。教会というものは、そういう場所でなくてはなりません。

2.イエスに所属し、イエスの名にこだわる

イエスの弟子たちは自分が本家であると思い、そうでない人々を見下すような風潮があったのかもしれません。しかし聖書には、弟子たちの情けない行状がたくさん記されています。それは、彼らに権威はなく、イエスの御名前だけが権威を持っていることの現れであります。弟子たちの仲間でない者もイエスの御名前によって祈ると、悪霊が出ていったのです! それはイエスの御名前に権威があるからです。「教会」において全てのことをイエスの御名前によって成す私たちでありたいと思います。私たちは、イエスに所属しているのであり、イエスの御名にこだわる者でありたいのです。イエスの御名前によって祈れば、神の素晴らしい御業が成されるのです!

3.味方がたくさんいる神の国

日本ではクリスチャンは少数派、マイノリティです。そうすると、私たちの味方は少ないように思ってしまうかもしれません。また、信じていない者は味方ではないと思うかもしれません。しかしイエスは、「反対しない者はあなたの味方です」(50)と言われたのです。クリスチャンでなくても、私たちに敵対しない人を敬い愛してまいりましょう。反対しない者、味方は私たちの周りにたくさんいます。その方たちを敬い愛し、祈っていく時、今は単なるイエスの言葉で「味方」と言える人が、やがて私たちの本物の仲間になっていくのです。「教会」はそんな場所でなくてはなりません。そのような「教会」を目指しイエスの御名前によって祈り前進してまいりましょう!