十字架と復活の主からの恵み

ルカの福音書24章44節~53節

さて、そこでイエスは言われた。「…わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」…「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。…あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」…彼らは、…いつも宮にいて神をほめたたえていた。

この聖餐式の礼拝で私たちの歩みを神の恵みの中にある正しい方向へと整えてまいりましょう。疲れていたり、落ち込んでいたり、なにか重苦しい心であるならば、悪魔がもたらすこのような妨害を、礼拝の中で、救い主であるイエスに取り除いていただきましょう。主は生きて働いて新鮮な恵みでこの礼拝の中で私たちを強めてくださいます。
イエスは、十字架の死を前にして、最初の聖餐式を執り行われましたが、その意味は今も変わっていません。イエスの救いを受け止める時に、今日頂くパンと葡萄酒はイエスそのものだということを受け止めていきたいと思います。十字架と復活の主が、最後のメッセージとして弟子たちに語られた今日の箇所から4つの大きな恵みを頂きましょう。

1.聖書の預言を成就した完璧な救い主

私たちは、イエスがただの偉人やキリスト教の開祖だから重んじているのでありません。イエスこそがまことの救い主であり、主だからです。旧約聖書に書いてある預言は全部成就する、とイエスは語ってこられました。イエスの御名前には全ての人を救う力とどんなことも実現させる力があります。他の宗教では、開祖たちが修行をして救いや幸福を探し求めたような物語があります。しかし、聖書の信仰は全く違います。私たちを救うために神の世界から現れてくださった完璧な救い主がすでにおられるからです。

2.罪の赦しと救いが実現

イエスは、私たちの罪が清められ、永遠の命が与えられる救いの道を開いてくださいました。イエスの十字架を仰ぎ見れば、私たちの罪は清められます。そして、神の子どもとされ、甦りの主ご自身が証明されたように、永遠の命まで約束されていることを感謝しましょう。イエス・キリストによって、私たちの罪の赦しと魂の救いが実現したのです。(ルカ23:46‐47)

3.イエスと私たちとの関係が変わる

罪人の私たちは、神から裁かれて滅びるばかりの者でしたが、イエスは私たちを愛し、ご自分の命を捨てて救ってくださいました。それにより私たちは神の子どもとなる特権が与えられ、神の働きにまで参加することができ、主イエスの証人とされたのです。証人とは、私たちの言動を通してイエスのすばらしさを人々に伝えることができるということです。そのために特別な聖霊の力まで与えられています。イエスとの関係を通して、私たちは、特別な使命や目的を与えられた、生きがいのある素晴らしい人生を与えられているのです。(ルカ24:48~49)

4.喜びと賛美の溢れる命へと変えられる

十字架と甦りのイエスを信じていると、呪いや憎しみ、絶望の暗い人生が、喜びと賛美が溢れる日々に変えられます。主の十字架と復活を証しする、証人としての価値ある毎日へと変えられていることを感謝しましょう。人の言葉や世の流れに翻弄されるのではなく、ありとあらゆることを通してイエスを証ししましょう。私たちは人間ですから、弱さを覚えることもありますが、それをそのまま放置するのはクリスチャンらしくありません。今日の聖餐式で100%本物のイエスが、私たちの真ん中にいらっしゃるということをもう一度確認し、祝福を与えられましょう。