感謝を忘れず恵みの循環に生きよう!
…ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。…そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」…「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」 ルカの福音書17章11節~19節
マレーシアの伝道のために祈ってくださった兄弟姉妹に本当に感謝します。今回の1週間のマレーシアの神学校での奉仕は、皆さんの祈りに支えられて終えることができました。また、伝道に行っている最中に鳥取で大地震があったとのことで、お祈りをしていたのですが、たとえ地が震えることがあったとしても、私たちは揺るぎません。人生に大きな激震のような出来事があったとしても、神によって私たちは強められるから感謝です。
今日開いた聖書は、どのようにすればイエスからの恵みの流れを頂くことができるのかを教えている大切な箇所です。イエスと弟子の一行が旅の途中、サマリヤとガリラヤの境を通った時の出来事です。境目というのは町や村などの人里から離れた場所であり、そんな場所だからこそ生活をしている人たちがいました。それはらい病の人たちで、その当時、ほかの人々と一緒に普通の社会生活を送ることを禁じられていたのです。イエスは彼らを癒したのですが、イエスに感謝を言いに来たのはたった一人のサマリヤ人だけでした。
1.イエスの元に帰って恵みに感謝する
私たちクリスチャンは、口癖のように「感謝」を口にしますが、慣れ親しんでいるうちに本来の意味や中身を忘れてしまい、言葉だけの感謝に終わらないように気をつけましょう。別の日本語に言い換えるならば、私たちは「礼儀知らず」になってはいけません。日本人の社会の礼儀として「お礼を忘れる」というのは人として情けないことです。人から物を貰ったときや、優しくされたときに、それを当たり前のように受け取り、高飛車な態度や偉そうな姿勢でいてはならないのです。兄弟姉妹、イエスから頂いた恵みに対して、ちゃんとお礼をしていますか? お歳暮のような形だけの感謝ではなく、魂からの感謝を捧げる者でありたいと思います。
2.恵みの循環と祝福の連鎖反応を生み出す
私たちは、芋づる式に恵みを与えられたいと欲するものです。しかし、それをただボーッと待つのではなく、恵みの循環が与えられるように、祝福の連鎖反応が起こるように自ら信仰の工夫をしたいと思います。それは、イエスから恵みを頂いたら、ちゃんとイエスのところに来て感謝し、イエスを礼拝するということです。恵みの循環や祝福の連鎖反応の中には、神とのキャッチボールのようなやり取りがあることに気付いてください。困ったときだけ神頼みをして、解決したらお礼を忘れるような無礼者で終わって、恵みの循環を止めてはいけません。
3.神を崇め続ける人生を歩もう
私たちは、偶像礼拝や困ったときだけ神頼みする信仰者ではなく、常にイエスを崇めるクリスチャンとしてイエスの臨在に留まり続ける者へと成長することができます。祝福の秋を迎えていますが、蒔いた種には神が豊かな恵みを与えて下さると信じましょう。そして、この1年でのやり残しが無いようにしたいと思います。この1年、恵みがあったときに、イエスにちゃんと感謝しましたか? お礼をしましたか? 10人の内の9人のような情けない礼儀知らずな者で終わりませんように。そして神を崇めることをライフスタイルとして、祝福の連鎖を生み出していきましょう。