主に与えられたミナを用いよう
…「ある身分の高い人が、…自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』…彼が王位を受けて帰って来たとき、…最初の者が現われて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』主人は彼に言った。『…あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』…もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。…あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。』… ルカの福音書19章12節~27節
今日開いた聖書の箇所では、イエスが、ある主人とそのしもべたちのたとえ話をします。最後のゾッとするような言葉は、イエスが周りにいるユダヤ人の政治的な話題を取り上げながら、神のお言葉を伝えようとしたからですが、今日はたとえ本体に目を向けたいと思います。私たちはこの箇所を通して、自分の生活のパターンを見直していきたいと思います。
1.チャンスは与えられている
このたとえの中で、主人はしもべたちに平等にミナを与え、彼が王位を受けて帰るまでの間に商売するように言いました。しかし結果はそれぞれ違うものでした。一人目は1ミナで10ミナを儲け、2人目は5ミナ儲けました。しかし3人目のしもべは商売をせず、しまっておいたものをそのまま返したのです。チャンスは平等に与えられていましたが、彼らの行動によって結果はまったく違ったのです。
2.論理をすり替えたり、言い訳をしない
3人目のしもべは、主人が恐いから何もしなかったと言いましたが、果たしてそうでしょうか。ここには彼の論理のすり替えがあります。実は、彼は風呂敷に包んだまま何もしなかったのです。何もしなかった自分のことは棚に上げ、「ひどい主人だから恐くて1ミナを守っていた」と論理をすり替えたのです。自分のいい加減さを詫びるのではなく、王様のために守ってあげたのだと言い訳をしたのです。ここから、人間の本質を見抜かなくてはなりません。私たち人間は怠け者でいい加減な部分があります。本当は自分から立ち上がって働くべきなのに、何もしないで事を終わらせてしまう怠け癖があります。そしてそこを指摘されると、言い訳を考えたり、別の論理を考えたりします。しかし上手く言い訳できたとしても、生み出す結果が違うのは事実です。また結果だけではなく、途中のプロセスや姿勢も大切ですが、時にその結果は、どれだけ努力したかを示しているということも否定してはなりません。
3.グズグズせず、行動は早く積極的に!
10ミナを儲けたしもべは、王様が帰ったとき真っ先に報告し、5ミナを儲けた者もそれに続きました。しかし、何も生み出さなかったしもべは、最後に出てきました。多くの利益を生み出したのは、実は、早く行動した者だったのです。おそらく10ミナを儲けることができたしもべは、王様から1ミナずつ配られた時も、誰よりも早く行動したに違いありません。5ミナを儲けたしもべも、遅れはしましたがすぐに行動したのでしょう。でも3番目にやってきたしもべは、グズグズしているうちに結局何も生み出せなかった。そして最後に、「何もしなかったのではなく、王様のお金を守っていた」と論理をすり替えて言い訳をしました。早く行動する者や積極的に一生懸命に行動する者は、グズグズして結果的に何もしない者よりも勝るのです。そのことを素直に認めましょう。
チャンスを貰い、お金と時間を与えられ、王様に認められた才能もあったはずなのに何もせず、しまいには理屈ばかり並べていたのでは、本当の恵みは与えられません。この話が、耳の痛い、胸に刺さる人もいるのではないでしょうか? 主は、用いさえすれば大きな祝福をもたらすことのできる恵みを、あなたにも与えて下さっています。