雄々しくあれと語られる主の約束

さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。「…この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」                              ヨシュア記1章1節~9節

聖書の中には、私たちに対する神様からの恵みの約束がたくさんありますが、数ある恵みの約束の中でも、特に励まされ、恵みの溢れる御言葉が今日の個所だと示されました。偉大な指導者モーセの死後、代替わりをする重要な歴史の節目に、新たな指導者として神はヨシュアを選びます。アブラハム、モーセと同じように、ヨシュアにも大きな使命を与えますが、意気消沈しないよう、強くあれ、雄々しくあれと神ご自身で語り、励ましたのです。心踊るこの言葉の恵みをヨシュアだけでなく、私たちも自分自身のものとしてまいりましょう。

1.神からの夢、ビジョン、希望がある

なぜこの個所が心躍るのでしょう。それは単に言葉だけでの勇気づけではなく、そこには夢、ビジョン、希望があるからです。ヨシュアに民と共に立ってヨルダン川を渡れば、あなたがたが足の裏で踏む所は、ことごとく与えられると約束して下さったからです。奴隷としての虚しい生き方から、大地を所有し国を立ち上げ、神の選びの民としての夢、ビジョン、大きな目標が与えられたのです。今の時代、がんばろうと思っているのに元気がないのは、自分がしようとしていることに夢や希望がないからです。しかし、クリスチャンには、神が語りかけて下さり、ビジョンや夢が与えられているから感謝です。神の恵みのスケールは大きく、今も変わりません。小さいのは私たちの信仰の器です。もう一度、神から与えられた夢やビジョンを確認し、心躍らせて下さいと祈りましょう。

2.神が共にいて下さる

神はヨシュアに言い含めるように、わたしはあなたと共にいる、絶対にあなたを見離さず、モーセと共にいたように、あなたと共にいると約束して下さいました。あなたが自分をどんなに弱く感じても、神の約束は変わりません。パウロが「神が私たちの味方なら、誰が私たちに敵対できるでしょう」と明言したように、どんな試練や困難があっても、私を強くして下さる方によって、圧倒的な勝利者となることができます。私たちは神が共にいて下さると言いながらも、時にそれを忘れ、弱くなっています。初めてのことにチャレンジする時、誰かが一緒にいるだけで安心するものです。まして、神が共におられるのですから、孤独感や独りよがりの考えから脱出して、神が共におられる私の人生の目指すところはどこかと、もう一度思い出し、心を強くしようではありませんか。

3.なすべき具体的な教えがある

世の中では、頑張れば幸せになれると言いますが、具体的な方法が語られないまま手探り状態です。しかし神は、「モーセに与えたあの律法を守りなさい。それを一つ一つ行動し、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、大きな祝福と恵みをいただくことができる」と語られました。必ず幸せになるための具体的なステップを教えて下さったのです。
召しと賜物は変わりません。神からの夢、ビジョン、目標があるはずです。強くあれ、雄々しくあれ。神が共にいることを覚えて、あなたのなすべきことにチャレンジしなさい。そして御言葉中心の生活を回復すれば必ずそうなります。信仰の器を大きくして、心ワクワク、心躍る状態にさせていただきましょう。