みことば通りの救いの体験

…あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。…
…私たちはみな、そのことの証人です。ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。…
人々はこれを聞いて心を刺され、…「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。…       使徒の働き2章22節~24節,32節~33節,36節~39節

使徒2章は、初めに、イエスが弟子たちに約束された聖霊降臨が記された大切な箇所でもあります。イエスが十字架につけられ、今後どう歩めば良いのか分からない弟子たちが聖霊によって変えられイエス・キリストがどういうお方であるかを大胆に語ったのです。その中でも、ペテロの最初の説教がこの2章です。今回は数箇所に分けましたが1つの場面で語られたものです。たとえ2000年前の説教であっても、私たちが信じるイエスは同じイエスです。ペテロたちが証しし、聖書が語るイエスを私たちは信じたいと思います。そこに勝手な解釈をしてイエスに対しての理解がズレないように注意しましょう。

1.主のご生涯と御業の正しい理解を持つ

月に1度聖餐式を守る私たちですが、それが習慣となり儀式で終わらないように気をつけましょう。この式典を通してイエスがどういうお方であるかの理解を整えましょう。まず、イエスは、架空の人物ではなく、私たちと同じ姿の人間としてこの世に来て神の御業を現した神の御子、救い主です(22節)。そして、ただ預言者として皆に愛されてご生涯を閉じたのではなく、私たちの身代わりとなり当時の極刑である十字架で死なれたお方でした(23節)。しかし、人間では決してありえない神の御子であるからこそ起こる事実として、3日目に死から復活され、死を超える命があることをはっきりと証明されたのです(24、32節)。 そればかりか、天に昇られてからもう一人の助け主である聖霊を私たちに与えて下さいました(33節)。 聖餐式は、そのイエスの救いを受け入れる大切なものです。パンはイエスの存在そのものを現し、ぶどう酒は罪を聖め、病を癒し、囚われ人を解放させる救い主が十字架で流された血潮であることをしっかりと受け止めたいのです。と同時に、救いはただこのイエスお一人から与えられることを覚え、イエスに対する正しい信仰の目を向けましょう。

2.イエスに向き合うべき態度、信仰

イエスを信じたその時から主はあなたと向き合って下さっています。そんなイエスに私たちは特に3つの信仰の態度で向き合うべきだと36~39節の中で記されています。
第一に、罪を悔い改める姿勢を忘れない。私たちは常に弱く不完全であり神の御心を悲しませてしまう傾向がありますから悔い改めましょう。第二に洗礼を受ける。これによりイエスを信じることがあなたの魂の事実であることを表しなさいと言われます。洗礼の恵みをただ過去の記憶で終わらせず、その時の信仰を持ち続け、証しし続けるクリスチャンでありたいと思います。第三に聖霊を受ける。イエスをキリストと信じて告白する私たちには、賜物である聖霊が与えられているのです。私たちが聖霊を必要とする時、主はいつでも満たして下さいます。
40~42節には、イエスを受け入れた3000人の新たな弟子たちが聖餐式を行った様子があります。この聖餐式は、聖霊が与えられて以降、初めて行われたものであり、それから2000年経っても世界中で守り続けられています。イエスの十字架の愛、聖書が語るみことばは今もなお決して変わりません。弟子たちと同じ主を見上げて共に歩みましょう。