いやしを引き出す私たちの信仰
…ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」…十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と心のうちで考えていたからである。…その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか。」と言われると、彼らは「そうです。主よ。」と言った。…
マタイの福音書9章18節~31節
8月の半ばの1週間を迎えて、暑さも極みの中にありますが、私たちは主の愛に燃やされ、また聖霊の力に満たされて、この一週間を力強く歩んでいきたいと思います。先週は学生会のキャンプがありました。好天に恵まれイエスを共にあがめることができ、神の家族のすばらしさを改めて感じて恵みをいただくことができました。これからも、夏にふさわしい諸集会が盛りだくさんです。その中に、神の祝福と恵みが豊かにありますように、また主のご臨在がありますようにと祈ります。
今年は戦後70年となり、戦争の記憶の風化が懸念されていますが、クリスチャンの私たちが忘れてはならないことは、2000年経っても主イエスの十字架とよみがえりの恵みは絶対に色褪せないということ。今日、私たちは癒しを体験して、今も生きて働いておられるイエスの恵みをいただきましょう。この礼拝の中で、心の焦点を救い主イエスに当てましょう。信仰を持って何年も経ち、あなたの信仰が慣れっこになって新鮮味がなくなっては残念です。あなたがよく知っているイエスのもとにこそ本当の癒し、恵み、解放、祝福、力があることを共に体験しましょう。
今日の聖書の箇所には3つの癒しが出てきます。この物語を通して、癒されるための大事な2つのポイントを確認しておきたいと思います。
1.イエスは、全ての病を癒される
ここには全く違う種類の病、患いが出てきます。会堂管理者の娘はすでに死んでいのに癒され生き返りました。12年間長血を患っていた女は、心身ともに大きな影響を与えるほどの病にもかかわらず、癒され解放されました。そして、2人の目の見えない人たちは、彼らの人生に大きなハンディキャップを与える肉体の弱さを癒されました。イエスは、まさにバラエティにとんだ、人生に大きく関わるどのような病や患いも癒されるのです。
2.イエスの癒しを引き出すのは信仰
会堂管理者は、言いました。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば、娘は生き返ります」。イエスへの期待、信頼がこめられているではありませんか。長血を患っていた女も、「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と心の内で考えていました。それに対して、イエスは言われます。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです」と。また、イエスは2人の目の見えない人たちに「私にそんなことができると信じるのか」と言われると、「そうです。主よ」と答え、それに対してイエスは、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われました。そして信仰のとおりになったのです。
2000年経って、私たちはどうでしょう。イエスをこの目で見ることはできませんが、聖霊の豊かな働きによってイエスは臨在してくださいます。神の御業を体験することができるのです。私たちは、どれだけイエスに信頼し、期待しているでしょうか。どんな病でも癒すことができるイエスがそこにおられ、イエスには必ずできるという信仰のある人がそこにいるとき、すばらしい神からの癒しを引き出すことができるのです。私たちの信仰を働かせて、癒しをいただいてまいりましょう。