受け継がれ与えられたいのち

教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。このヨセフは、ヘリの子、順次さかのぼって、マタテの子、レビの子、メルキの子、ヤンナイの子、…マタタの子、ナタンの子、ダビデの子、エッサイの子、オベデの子、ボアズの子、サラの子、…ユダの子、ヤコブの子、イサクの子、アブラハムの子、テラの子、ナホルの子、…カイナンの子、アルパクサデの子、セムの子、ノアの子、…エノスの子、セツの子、アダムの子、このアダムは神の子である。
                                 ルカの福音書3章23節~38節

今日は、合同記念会礼拝です。私たち神を信じる者にとって、死は決して悲惨な別れではありません。神の世界への新しい物語の入り口だからです。ですからこの地上での歩みを、神を信じてしっかりと歩み通された兄弟姉妹たちの魂が今、神の元、天国に在ることを感謝したいのです。
今日の聖書箇所は、イエス・キリストの誕生に際してルカの福音書が伝えている家系図です。聖書が書かれた時代のユダヤ人たちは、戦乱を繰り返す中で翻弄され、伝統を誇ることができず、その代わりに、神に選ばれた神の民であるということと、律法、家系図を誇りとしたのでした。それで、イエス・キリストの存在が力強く響くために、その家系図が記されたのです。けれど聖書に記されている系図には、神の言葉としての意味があります。神の御子イエス・キリストがこの世に現れる時に人の系図の中で私たちと同じように命を持つ人として現れて下さいました。同時に神の御子として神の霊に満ちたお方、その内には永遠の命がありました。このイエス・キリストの系図から学ぶべきことを確認したいと思います。

1.命は受け継いだもの、与えられたもの

イエスの命は、母マリアから生まれ、その系図をしっかり遡ることができたと聖書に記されています。あなたの命は、何処から来てどうやって与えられたのでしょうか。自分で選んだり、作り出したりしたのではありません。命は受け継がれてきたものであり、愛が無ければ受け継がれなかったものです。人の存在は、突然偶然に現れるものではありません。あなたは親の存在なしには生まれてきませんでした。命は受け継いだものであり、愛の中で育まれ生み出されたものであると今日の聖書箇所に明確に記されています。命は人としての愛がある中で生み出されたものであることに感謝しましょう。神が人に命を与えられて以来、この命は一度も途切れることなく引き継がれてきたのです。このことに気づくと、高ぶったり、命を粗末にすることなどできなくなるのです。命を与えてくださった神に感謝しましょう。

2.命は創り出され与えられたもの

形あるものには、始まりがあり、終わりがあります。形あるものは、何処かに始まりがなければなりません。38節には、こうありました。「エノスの子、セツの子、アダムの子、このアダムは神の子である」。聖書は人の命の起源を神に帰しています。神がご自身の意志を込めて大切に与えてくれた命なのです!兄弟姉妹、私たちの命が受け継がれたもの、愛の中で育まれたことを正直に認めると共に、誰一人命を生み出すことができないことも認めましょう。神は無から有を生み出し、エネルギーそのものが存在しなかった世界に命を生み出し、ご自身に似た姿に、愛することや、信じること、夢を描くことができる人間の命を生み出された、と聖書にあります。今日の記念会の礼拝、今生きているあなたに紛れもなく命を受け継いでくれ、育んでくれた方に心から感謝しましょう。神によって与えられた命を大切にし、神に感謝しましょう。神を信じ永遠の命を得て天国での再会を思い描きましょう。天国からあなたは祈られている、あなたも命を引き継いでいく存在です。命の与え主である神を心のど真ん中に迎え入れましょう。