そこにある真実としての救い主キリストの約束
さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」…
ルカの福音書2章8節~20節
クリスマス(キリスト祭り)はイエス・キリストの誕生を祝う時です。西暦はイエスの御誕生の時から数えられた年号であり、今年はその2014年目。2000年以上経ってもイエスの御誕生をお祝いできるのは、神の御子の誕生が否定することのできない事実だからです。聖書の語るイエスの御誕生は、神の恵みを受け止めようとする私たち一人一人にかけがえのない神からのメッセージを伝えています。
1.救い主の誕生は確定した事実
聖書の御言葉に立つ信仰は、決して揺るがされない、否定しがたい事実を土台としています。御子キリストの御生涯の事実は、彼と共に歩んだ多くの人々の証言によるもので、彼らは命をかけても誰一人それを否定できませんでした。そして当時の歴史家やローマ帝国の記録の中でも、イエスの働きと十字架の死、イエスの死後、直ぐに弟子たちが復活について語り始めた出来事は、否定しがたい資料として歴史の中に残っています。キリストの尊い命の誕生の事実が歴史の中で確定されているのです。
2.救い主には明確な使命が委ねられた
御子の使命は全ての人を救う、「救い主」としての仕事を完成することにありました。人の心は、どんなに一生懸命歩んでも罪に汚れており、清くて聖なる命の根源である神とはまさに水と油。そのあまりにも隔絶された二つのものをもう一度結び合わせ、神の愛の中に生きるようにするためには、神と人との性質を完全に併せ持ったお方によって二つの世界が結びつけられる以外ありませんでした。それで神であり人である「救い主」が必要だったのです。単なるかわいい赤ちゃんではなく、私たちを救うために、ご自分の命を捧げるためにこの世に来て下さった「救い主」がそこにおられるのです。
3.救い主の現れは全ての人のため
神が人と向き合い、語られる時の「あなたがた」の中には、あなたも私も含まれています。聖書の神は私たちに向き合い直接語りかけて下さいます。神との関係の中には、「神とあなた」しか存在しないのです。他人事ではないのです。人は死んだ後、神の御前で罪を裁かれることが定められていて、私たちの命は好き勝手に生きて死ねば終わりではありません。私たちは、絶対(ぜったい)神(しん)と直接向き合う場に置かれます。語りかけ向き合い働きかけて下さる神が、「救い主」をお送り下さったことを感謝しましょう。
4.今、ここで
神は時間、空間を創造されましたが、神はそれを超越することもでます。それで、2000年前の出来事が「今、ここで」起きるのです。私たちの魂のもとに「今、ここで」救い主がお生まれになったのです。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました」。この神からのメッセージは、なんら損なわれず、今も神からの大切な知らせを私たちに伝えています。神の御子イエス・キリストは、あなたのために「今、ここに」いて下さることを事実として確認できる真実の救い主なのです。救い主キリストに焦点を合わせ、主と共に歩みましょう。