正直な信仰に応えられる神
…ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。… 第一サムエル記1章9節~18節
秋たけなわです。秋ならではの行事においても祝福をいただきましょう。私たちは、神が共にいて下さって恵みを体験することができます。そのためにも、あなたの日々の生活の中での具体的な事柄を祈ろうではありませんか。世間の人々の教会に対するイメージは、よほどの悩みや問題のある人々が通う所という固定観念があるようです。ですから、本来の教会らしく、もっと力強く前向きな本物の信仰を伝えていかなければならないという思いでいます。
自分の悩みは、本当の意味では誰からも理解されないし、解決もできない、そのような孤独感、沈痛な思いから神に祈った一人の女性、ハンナを神がどのように祝福して下さったのか、またハンナの祈る姿勢はどのようなものだったのか、この2つの事柄に注目し、私たちも神の恵みに与りたいと思います。
1.本音の祈りを神は聴いて下さる
私たちが神に祈り求めるものは、特別大きな素晴らしいビジョンである必要はなく、ごく個人的な祈りも神は聞いてくださいます。ハンナの心は痛んでいたし、激しく泣いて、心を注ぎ出して祈ったのです。見かけの良い願いや形だけの祈りではなく、あなたの本心、本音から祈ることが大切です。そのような祈りを神は受け入れて下さるのです。神の前に信仰を働かせて祈る時の姿勢、それは正直な祈りであることです。求めてもいないことを美辞麗句で飾り、上辺だけの外交辞令のような祈りで終わらないことです。
あなたの祈りが、本当に正直な祈りになっているかを見直し、そこからもう一度自分自身の祈りを立て直しませんか?信仰生活は、力みすぎずに身の丈にあった祈りや行動を継続することによって成長し、恵みが増し加わっていくのです。
2.自分のできる信仰を行動に移す
神が求めておられるのは、何か特別に難しいことではありません。ハンナは自分の思いを単に神にぶつけたのではなく、祈りという形にしました。さらにハンナは、子どもを与えてくださるなら、その子を神に捧げますと、自分も神に誓ったのです。
ハンナの祈りは、特別な求め方、特別な信仰の働かせ方をしたのではありません。祭司の目には酒に酔っているように見えるような祈り方で、決して体裁の良い祈りではありませんでした。けれども、彼女の心から湧き上がってくる正直な思い、願いを自分ができるスタイルで神に祈り、神から与えられた思いを自然に誓ったのです。それにより彼女の祈りは応えられたのです。ハンナのように本音の祈りを主に捧げ、信仰の行動を形にしましょう。そうすれば、必ずあなたの祈りも応えられます。
無名の信仰者ハンナの祈りですが、旧約聖書の大切なサムエル記はこの物語から始まるのです。この後どうなったでしょうか? 彼女にサムエルという男の子が与えられます。サムエルは、イスラエルの最初の王サウルを選び、偉大な王、ダビデに油を注いで神の民イスラエルの偉大な歴史を開いていく預言者となるのです。その素晴らしい歴史の始まりが、一人の女性の心の痛みから始まったことを見落とさないようにしましょう。神により、あなたの思いを遥かに超える祝福が実現することを信じて、まず本音の祈りからあなたの信仰を働かせましょう。