御国を受け継ぐ者の恵み

…私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。…いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。…このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。
                     使徒の働き20章25節~35節

 

11月を迎え、今年もあとちょうど60日となりました。日本全国で繰り広げられるメリエストクリスマスでの集会でも多くの人たちを巻き込みながら、イエス・キリストの誕生をお祝いしたいと思い祈っています。同時に、この一年を振り返って心から神に感謝し、賛美をささげるためにはこの2ヶ月が勝負です。しっかりと締めくくりたいと思います。
「私たちの国籍は天にある」、私たちのふるさとである天を目指して歩む歩みは、この地上においても、天の御国の恵みに与る歩みなのです。それがどういうものか、パウロがエペソの人たちに残した遺言とも言える今日の箇所から学んでみましょう。

 

1.他者のために労苦奮闘する

パウロの3回目の伝道旅行の中心は、エペソの人たちと過ごした3年間でした。パウロは3年間という長い間、昼も夜もエペソの人たちのために、時には涙して弱い者を助け、必要のために働きました。他者のために労苦し奮闘したのです。世の中の人たちも仕事や家庭で必死に労苦し、奮闘するのです。さもなければ、収入や利益を失い人々からの評価を失うことになるからです。しかし、クリスチャンが世の中で労苦し奮闘するのは、ただ人に喜んでもらって収入を得るためだけでなく、キリスト・イエスを宣べ伝えるためなのです。家族や友人のために毎日祈り、仕え、労苦している一人ひとりの小さな積み重ねが、御国の福音を宣べ伝える労苦でありたいものです。

 

2.受けるよりも与えるほうが幸いである

神からいただいている、与えることのできる幸いを、心から喜ぼうではありませんか。しかし、どうして受けるより与えるほうが幸いなのでしょうか。他人に与えることで自分が優位に立つからでしょうか、またイエスが言われるから尊いのでしょうか。自分以外の人に何か良いものを与えることができるのは、何にも増して素晴らしい天の恵みを受けていることを心の底から実感できているから、できることなのです。このことが幸いなのです。

 

3.神と神の恵みの御言葉とに頼る歩み

天国のふるさとを目指しての歩みは、決して平坦ではありません。パウロは、エペソの教会に今後、内外から様々な問題が起ると知っていたにもかかわらず、そこを離れました。エペソは居心地も良かったことでしょうが、エルサレムのキリスト者が、迫害の中で徐々に収入を得る術を失い、パウロも伝道の中でエルサレムへの献金を募っていました。その献金を一刻も早く届けたかったのです。これも労苦です。
しかし、パウロは、様々な苦難から救い出すのは、自分の力ではなく、神と神の恵みの御言葉だということを知って「神とその御言葉にゆだねる」と言ったのです。私たちに襲いかかる世の大きな力の前では、人の力は無力なのです。何かにすがって、誰かに頼るのではなく、神とその恵みの御言葉をあてにしている私たちでありたいのです。
外からの闇の力や内からの惑わしがあっても、御言葉に焦点を合わせていれば、この世のどんな力よりも強い神の御言葉の力が、私たちを守り、あらゆる苦難から私たちを助け出して下さいます。しっかりと恵みの御言葉に信頼して生きていきましょう。