いやしの御言葉に込めるべき信仰

…ミリヤムは人々に答えて歌った。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」…民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。…その所で主は彼に、おきてと定めを授け、…仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」                                               出エジプト記15章20節~26節   

ある調査によると日本は鉄道大国。最近は自動車社会ですが、それでも年間の旅客数は延べ88億人でダントツ世界1位。人口10倍のインド、中国でもそれぞれ72億、16億人だそうです。時速300キロにもなる新幹線を4分おきに走らせるのは日本ならではのすごい技術です。当たり前だと思うものの中にものすごいものがあるのです。神の恵みも私たちには当たり前ですが、ものすごい恵みなのです。
今日は、有名な「わたしは主、あなたをいやす者である。」という御言葉の箇所です。この言葉が語られたのは、400年のエジプトでの奴隷生活からの大脱出の直後でした。
ここでイスラエルの民は、対照的な2つの言葉を語っています。ひとつは、海を2つに分け、エジプトの軍勢からイスラエル人を救い出して下さった神を讃美する言葉。そしてもうひとつは、飲む水がない、どうするのかという不平不満の言葉です。驚くべき奇跡を体験し、喜んで神をほめたたえた同じ人々が、わずか数日後には、飲み水のことで不平を言うのです。そこで神は、モーセを試みて、もしあなたがたが聞き従うなら、あなたをいやすと語られたのです。

1.主の御言葉に聞き従う者であろう

聖書は、教えを勉強したり、修行すればいいという日本的な宗教とは違います。神と結びつき、神との関係の中に生きていく、神との関係性が問われている信仰です。この御言葉は、単なる決まり文句や唱えれば病気が治るという呪文のような薄っぺらなものではありません。この言葉を唱えるとき、主に結びつくことが求められています。
イザヤは、恵みを受けられないのは、主の手が短く耳が遠いからではなく、あなたの心に罪があるからだと言っています (イザヤ書59:1-2)。身勝手なわがままを神にぶつけて、自分の側から神との関係を損なわないように注意しましょう。
企業では、若者を採用する上で、部活を一生懸命やってきた人を優先する傾向があります。それは、プレッシャーや痛みに耐えられる力を身につけて困難を乗り越えられる人材だと考えるからです。自分に都合のよいことばかりをしてもらって育った人には、本当の力がないと知っているからです。
クリスチャンの大原則も、罪を悔い改めて、変えられることです。自分の都合ばかりを求める御利益宗教とは違います。主は、これから荒野への旅が始まるが、どこまで本気なのかと問われたのです。
主に従い、神と結びつくことにより、神の恵みであるいやしをいただく者となりましょう。

2.神はどこまでも救いの神、いやしの神

しかし神は、愛と恵みの神であるご性質を変えられることはありません。それが神の本質であり、この大原則は何があっても変わりません。神は命のないところに命を与え、弱い者を助け守る神、病んでいる者をいやす恵みの神です。
神に聞き従い、神の愛が今も変らないことを知るとき、いやしを体験するのです。神は私たちの信仰の姿勢を問われました。神に対して不平不満の姿勢なのか、神に聞き従うのか。聞き従うなら、今も恵みを与えようと、常に私たちと向き合って下さる愛の神、それが私たちの主、私たちをいやす神です。