神の臨在とキリストの現れのある信仰生活

まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、…雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。わたしは…国々から彼らを集め、…良い牧場で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らのおりとなる。彼らはその良いおりに伏し、イスラエルの山々の肥えた牧場で草をはむ。わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。…わたしは…迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。…                          エゼキエル書34章11節~16節

今日の箇所は、羊飼いが羊を一匹一匹大切に世話をするように、弱い私たちひとりひとりにかかわって下さる神の愛が描かれています。

1.徹底的な愛を注いで下さる神

私たちが奉仕し、愛し合い仕え合いましょうというのは、どこから来ているのでしょうか。それは、天地宇宙の造り主である神が、私たちを徹底的に愛される神だからです。神は、羊飼いが自分の羊を散らされたまま放っておくことがなく、何があっても探し出し、守るように愛して下さいます。
この神の愛は、どのように具現化されたのでしょうか。ヨハネの福音書10章に、「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」とあります。神の愛は、私たちを救うために命を捨てられた御子イエスのご生涯において具現化されました。この本物の愛を決して忘れてはなりません。

2.救われるために、資格はいらない

世界のどの国にいようと、どの民族の中にいようと、神を信じる神の民を神は広い心で導いて下さり、ひとつに集め栄えさせて下さいます。神の愛の選びに制限はありません。
どんな立派な人だから、どんな血筋だから、どんな資格やコネがあるから、救われるのでしょうか。マタイの福音書11章に、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」とあります。たとえ、弱く、取るに足らない者であっても、素直に神の恵みを求める者は、例外なく、誰でも恵みをいただくことができるのです。
イエスがよみがえられた時、弟子たちに、「あらゆる国の人々を弟子とせよ。」と命じられました。神の寛大な導きは、私たちにも与えられています。神の不思議な導きの中で、罪と後悔の生活から救い出され、神の国の住人とされたことを感謝したいのです。

3.満ち溢れる祝福で、潤して下さる神

ヨハネの福音書4章に、「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」とあります。イエスは、あなたの命や人生のすべての場面に、たとえ死んでも永遠の命に続く豊かな命の水を与えて下さいます。だから私たちの心はいつもはつらつと元気で感謝できるし、健康で、将来の計画や老後のことでも、ひとつひとつに神の恵みをいただくことができます。尽きることのない恵みを感謝しましょう。
神のご性質は、恵みと救いです。私たちはイエスを信じていますから、もう人生に迷いはありません。イエスが私たちの歩むべき正しい人生の道であり、イエスの中にすべての真理があり、イエスを通して私たちは本物の命にあずかります。まことの神が私たちの魂の中におられ、私たちの教会は、世の中にはない神の恵みを体験しています。神の愛を知っている者として、春のバザーに向かいましょう。「私を用いて下さい。私の中にまことのキリストの姿が映し出されますように。」と祈ろうではありませんか。