干からびた骨も生かされる主の恵み

…主の霊によって、私は…谷間の真ん中に置かれた。…多くの骨があり、ひどく干からびていた。主は私に仰せられた。「…これらの骨は生き返ることができようか。」私は答えた。「…あなたがご存じです。」主は…仰せられた。「…骨に預言して言え。…主は…仰せられる。…おまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。…」…私が預言していると、…骨と骨とが互いにつながった。…肉が生じ、…息が彼らの中にはいった。…彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。…                        エゼキエル書37章1節~10節

イスラエル人は、エジプトを大脱出し、約束の地カナンへ導き入れられ、祝福されていたはずでした。士師の時代を経て、幾多の王も与えられたのですが、偶像礼拝に走ってしまい、神から裁きを受けるのです。敵の軍隊に蹂躙され、優秀な人々は捕虜となり、神殿は崩れ、イスラエルは廃墟となります。
イスラエルの滅亡後、幻の中で、神が預言者エゼキエルをひとつの谷に連れて行きます。見渡すと、戦場で戦って殺された仲間のおびただしい数の骨が、葬られることもなく、うず高く積み上げられていました。その時、神は、「これらの骨は生き返ることができるだろうか。」と問われたのでした。

1.死からの復活はあるか、と問われる神

干からびた骨は、死の象徴です。灰にも等しい骨を前に、神は、「これらの骨は、生き返るか。」と問いかけられました。エゼキエルには十分な信仰はなく、「神様、あなたしか知りません。」と答えています。預言者であっても、明確な答えはありません。
去年の3月11日に、東北地方は大津波で家も工場も流され、2万人近くの方が亡くなり、一挙に廃墟となりました。福島では、原発事故で人っ子ひとり住めないゴーストタウンとなった町もあります。訪れた人々は問いかけられることでしょう。「この街は、再生できると思いますか。」。早く行動し始めなければならないのに、日本中の皆がはっきりした答えを出すことを戸惑い、誰も復興を宣言できていません。
私たちの心の中にも荒地があったり、人間的に大変な病を宣告されたり、死しか見えないようなことがあるかもしれません。でも、命の与え主である神はあなたと向き合われ、問いかけられます。「あなたの生活の中で命を失ったものは、よみがえるか。」、「あなたの病は癒されるか。」。私たちも弱く不完全ですが、「だめです。」という答えではなく、せめて、「神様、あなたはご存じです。」と答えを神に委ねたいのです

2.命を生み出される神の本質

神は預言者に、「預言して言え。息よ、四方から吹いて来い。」と命じられます。旧約聖書が書かれたヘブル語では、「息」という言葉は、「風」や「霊」と同じです。彼は、自分で信仰を働かせることはできませんでしたが、命じられた通り、「神の霊よ。吹いて来い。」と預言します。すると、骨と骨とがゴトゴトぶつかり合う音が響いてつながり合い、肉や血管が生じ、皮膚がおおい、生き返った人間の大集団となったのです。
無から有を生み出す創造の働きが神の本質です。私たちの答えがどうであれ、神は命を生み出して下さいます。癒しを求める最大の根拠がここにあります。弱っている者が強められる神の働きに触れたいのです。癒しの根拠は、私たちの信仰の熱心さや頑張りではありません。
神は自ら命をもって存在され、神がおられる所どこででも、死の世界に命が芽生え、荒野に道が、砂漠に川が生じます。癒し主のご性質に感謝し、「生かしてください。」と祈ろうではありませんか。