いやしに向かって働く信仰

あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。…病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。…また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。…    ヤコブの手紙5章13節~18節     

神が確かに癒して下さることは、聖書の約束です。ですから、私たちを活かし機能する信仰を持って、癒しの恵みに近づいてまいりましょう。  

1.どんな場面でも機能する信仰

「人生で苦しいことがあるなら、祈りなさい。良いことがあって喜んでいるなら、賛美しなさい。病気で倒れたなら、教会のリーダーを招いて祈ってもらいなさい。」と聖書は語っています。人生には、様々なリアルな出来事が起こり、すべての場面で、私たちの喜怒哀楽の感情が伴います。その中で、祈ったり、賛美したり、兄弟姉妹に励ましてもらったり、どんな場面にも働かせるべき信仰の形があることを知りましょう。イエスを信じる信仰は、困った時だけ祈る信仰ではなく、常時スイッチオンでなければなりません。どんな状況でも、何をしていようと、常に信仰を働かせることが大切です。

2.信仰の担い手である私たち

日常生活で、掃除も掃除ロボットがしてくれ、色んなことを機械に任せることができる時代です。あなたのCDプレイヤーが賛美やメッセージを流してはくれるでしょう。しかし、機械に信仰があって、私たちの代わりに賛美したり祈ったりしてくれることはありません。信仰の担い手は、信仰者である私たちです。人任せにしないで、苦しい時は自分が祈り、喜んでいれば自分が賛美し、病に倒れ力が不足している時は、主にある兄弟姉妹にお願いしてでも祈ってもらい、神に向かって信仰を働かせてまいりましょう。

3.癒しを求める信仰

聖書ははっきりと、「信仰によって癒しを求めよ。病んで祈れないならば、祈ってもらってでも、癒しを求めよ。」と語っています。イエス・キリストの救いは、私たちの全存在を救うものです。悟りや確信を与えて、心の中に救いを下さるとともに、私たちの命の健康のあり方や、人生の出来事、日常の小さな出来事まで、全部ひっくるめて、私たちの存在にかかわるすべてを救って下さると受け止めようではありませんか。救いを部分的に限定してはなりません。肉体の弱さを覚える私たちのために、主は、癒しを与え励まし強めて下さり、命を回復して下さいます。神から与えられた地上での人生を、十分に充実した生きがいのある価値ある人生へと主は引き上げて下さり、必ず人生を全うさせて下さいます。

4.互いのために祈り合う信仰

「病の癒しを求め、互いの弱さを隠さず、時には罪を言い表わし、悔い改めながら祈り合ってごらん。そうすれば、癒されるよ。信仰者の力は、働くと大きな力がある。」とヤコブは語りました。つべこべ言わず、実際にやってみれば、信じたとおりのことが実現します。それを、自分のものとしようではありませんか。また、「エリヤも私たちと同じ弱い普通の人間でした。でも、彼も信仰を働かせ祈れば、雨が三年六か月降らず、再び祈ると、雨が降るようなとてつもない奇跡を行なわせてもらったんですよ。」と、実践する信仰は、そこまで成長する余地があると聖書は語ります。私たちも、癒しのための信仰を働かせてまいりましょう。