肉体にまで及ぶ主の復活
…イエスご自身が彼らの真中に立たれた。彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。すると、イエスは言われた。「…わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。 ルカの福音書24章33節~43節
人気作家 村上春樹さんの新刊本の売れ行きなどを見ると、人間は単に飲み食いだけでなく、意味のある言葉を求めていると感じさせられます。そして、私たちには、時代、場所、人種を越え、すべての人に祝福を与える神からの言葉があることに感謝しましょう。神の言葉そのものである、イエス・キリストがこの世に来られ、私たちの罪を背負って十字架で死に、よみがえられたのです。
しかし二千年前であっても、高度に発達した文化や思想を持っていた当時の人々にとって、イエスのよみがえりについてのとらえ方は様々でした。弟子たちにもまだ全体像がわからない状態でした。それについてルカは、福音書の締めくくりで、はっきりと伝えようとしました。
1.イエスの復活は肉体を伴ったもの
復活のイエスを目撃した弟子たちは、「霊を見ている」と思ったのです。霊的なもの、超常現象ではないかと思ったのでした。それに対してイエスは、「わたしの手やわたしの足を見なさい。…霊ならこんな肉や骨はありません」と語られ、ご自身を示されました。別の箇所でトマスには、「わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい」と言われています。
聖書の語るイエスのよみがえりは、単なる霊的な現象ではなく、肉体を伴うものであったことがわかります。
2.イエスの復活の力は現実生活に及ぶ
さらに、復活されたイエスの体は、手や足があっただけでなく、聖書に書かれているように、魚を召し上がったという、現実の生活に及ぶものでした。
イエスの復活は、肉体的・感覚的に、見えて聞こえて触れるだけでなく、私たちの現実の世界の営みの中に確かに起こった事実だということです。
3.イエスの復活は私たちに影響を及ぼす
この後、48~49節には、「あなたがたは、これらのことの証人です。…あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」と、イエスは言われました。これは、使徒行伝の聖霊降臨を意味し、上からの力とは聖霊の力のことです。
イエスの復活は、悟りや心理的なことではなく、本当に弟子たちに力を与え、彼らを変え、伝道の世界へと遣わす、現実的な力をくださったのです。イエスの復活と聖霊降臨により、それまでの歴史の中に存在しなかった「教会」が誕生しました。そして、地の果てにまで福音が伝えられ、パレスチナの片田舎の出来事が世界中に広がり、私たちの生きる21世紀の世界にまで影響を及ぼしているのです。
聖書の話は、単なる慰めではなく、具体的な現実の生活に直接作用を及ぼし、私たちの存在そのものに関わるものです。イエスの復活と救いは、霊的な面だけでなく、肉体にも及びます。だから、私たちの肉体の病いも癒されて当然なのです。
イエスの復活の恵みは、私たちの存在すべてに及びます。私たちの心の罪が赦されるだけでなく、人生が永遠の命に向かって救われてゆきます。イエスの救いの力で生かされ元気にされて、私たちは主の証し人として、ますます用いられていくのです。