別け隔てなく聖霊の恵みまで与えられる主
使徒の働き10章34節~36節、44節~48節
…神はイエス・キリストによって平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。
…ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けているすべての人々に、聖霊がお下りになった。…この人たちは、…聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにパプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」…
2月14日はバレンタインデー。ある調査によると、義理チョコの文化が消滅しつつあるようです。コロナの影響で、自宅でリモートワークをする人が増え、実際に顔と顔を合わせて仕事することが少なくなったことが原因ではないかと言われています。人間関係が疎遠になりつつある現実を見ることができます。
クリスチャンの世界は交わりが不可欠です。お互いのために祈り、支え、感謝し合うことを大切にしていきたいのです。私たちはイエス様の愛を受け、「受けるよりも与えるほうが幸いである」ことを知りました。与える愛を、キリストを通していただいていることを喜び合いたいと思います。
今日の聖書箇所では、使徒ペテロとローマの百人隊長コルネリオとの出会いが記されています。彼は聖書の神への信仰があり、さらにペテロたちから信仰の極意を聞きたいと願っていました。これはコルネリオ自身の願いだけでなく、神ご自身のご計画でもありました。教会の中心人物であるペテロが、本来なら「敵」である彼に、神の福音を伝えるという道筋を神ご自身が整えられたのです。「世界中のどの国の人も救われる」、そのような「恵みの時代」を開く象徴的なきっかけとなる出来事として、彼らの出会いはあったのです。神様は人を偏り見ません。全ての人に100%の恵みを与えてくださいます。 今年、私たちは「恵みの震源地」というテーマを掲げ、一年をスタートしました。兄弟姉妹、あなたは「恵みの震源地」になれないと決めつけていませんか? しかし、今日の聖書箇所で、神は誰にでも恵みを与え、祝福してくださることがはっきりとわかるのです! 3つのことを確認しましょう。
1.人間の心の限界、差別意識、思い込みを越えて!
ペテロがユダヤ人として受けていた教育からすれば「異邦人」というくくりは、簡単には乗り越えられるものではなかったでしょう。しかし、彼の「異邦人は救われない」という決めつけをはるかに越えて、神ご自身が働かれたのです。ペテロは神による幻や御言葉が与えられ、変えられました。そして、神はコルネリオに対しても働かれ、彼は聖霊に満たされました。人の様々な「壁」を乗り越えられるように神は働かれるのです。 私たちも「私も恵みの震源地としてください」と熱く願おうではありませんか。
2. 誰に対しても偏り見ることのない神!
罪の贖い主である“主”は、全ての人の“主”なのです。ペテロたちは、異邦人であるコルネリオたちにも同じように聖霊が下ったことに感動しました! そうして、彼らも仲間に加わり、教会の一員になっていくのでした。
3.惜しみなく聖霊を注いでくださる神!
神は私たちに良い物を与えてくださるのです。神は私たちに聖霊を豊かに注いでくださいます。聖霊とは、神の霊ですから、神の恵みの中でも特筆すべき「特別な恵み」です。あなたは他人と比較し、自分の信仰生活が弱々しく感じられることもあるかもしれません。しかし、主は「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られます。「主の名を呼ぶ者は、みな救われる」のです。誰でも恵みを豊かに受けることができる、そんな恵みの神様がおられることを心から感謝しましょう!
4. 私たちの信仰に答えてくださる神様
「彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される(17節)」とダビデは、すべての苦しみから救い出される神様を賛美しています。
遜って祈り求めるならば、主は必ず祈りに答え、恵みをお与えくださいます。そして、「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる(18節)」と、私たちに祈りの姿勢を教えています。
この礼拝の中で、シンプルに信じて、癒しを求めましょう。主の前に遜り、恵みをいただきましょう。とことん祈って元気になって、主をほめたたえ、証しし、恵みの震源地とならせていただきましょう。周りの人々を潤す者、神様に喜ばれる者へと成長してまいりましょう。
以上の4つの選択で私たちはクリスチャンとしての信仰を選び取りたいと思います。この一年、私たちが「恵みの震源地」となるために、「私と私の家族は、主に仕える」と告白し、主の恵みを選び取って歩んで行く者となりましょう。
5.イエス・キリストというお方―主キリストの存在!
私たちの求める救いは、どこにあるかわからない宝探しのようなものではなく、明確な場所があります。それは主イエス・キリストと共にあるのです。
6.お生まれになった―人生の歩みの中での事実!
救い主は人類歴史の中の事実となりました。イエス様は私の人生の歩みの中で事実となってくださるのです。
7.みどりごを見い出す―出会うことのできる主!
イエス様は探し求めれば出会うことのできる救い主です。永遠のいのちを証明された方が世の終わりまで私たちと共におられます。2000年前の救いと恵みの保証は今も変わりません。そのことを覚え、このクリスマス、感謝して歩んでまいりましょう。